犯人グループの巧妙な入れかわりの芝居や程よい緊張感などで、観客は狭い部屋の中にぐっと引き込まれていきます。
スージーの涙の意味は「乗り越えた感動の涙」
ラストシーンで見せたスージーの涙ですが、ほっとして流した涙というには端的過ぎるような気がします。
彼女は乗り越えようとしていた
この物語はただのサスペンス映画ではなく、盲目となった女性の成長物語でもあります。
スージーは先天性ではなく、事故に遭い突然盲目となった女性です。
夫サムはそんな彼女に対し、一人で困難を乗り越えられるようにあえて何もしてあげないという生活を送っています。
犯人に勝利した時、スージーは安堵感に加えひとりでやり遂げることが出来たという思いもあったに違いありません。
盲目であることに引け目を感じていない
スージーは盲目になってしまったことに正面から向き合っています。
盲目だから助けて、という姿を見せることはないのです。
ハンディキャップを乗り越えるどころか、それを武器にして犯人へ向かっていく姿は女性の真の強さを感じさせます。
「バットマン」のセリフも伏線
スージーは自分をバットマンと称しています。
これは後半部分の伏線になってくるセリフなのですが、彼女はなぜバットマンと自分を重ねたのでしょう。
バットマンとスージーは共通点がある
バットマンは暗闇で活躍するヒーローです。
ちょうど本作が制作される前年の1966年にもレスリー・H・マーティソン監督によって映画化されています。
そんな暗闇で活躍するバットマンと盲目である自分をかけているのです。
そして暗闇の中で悪と戦う姿は、後半部分の伏線となっています。
ロートンの目はわざと隠されている
劇中でスージーは目の見えない女性を演じています。
そして観客からは「目が見えない」人物が登場しています。
サングラスをかけたロートン
サイコパス的な犯罪者であるロートンは常にサングラスをかけています。
観客からは彼の目を見ることが出来ませんが、実はこれには深い訳が隠されています。
彼がサングラスをかけているのは、不気味さを演出するため。
それは見た目ではなく心情的なもので、目が見えない人物の考えはよめないという人間心理を利用したものなのです。
観客はロートンの考えを読むことが出来ません。ゆえに彼の狂気に怯えてしまうのです。
見える者見えない者の視点が絶妙
劇中では、目が見えないスージーからの視点と目が見える犯人からの視点が上手く使われています。
この使い分けがあってこそ、暗闇となった時のスージーの活躍が際立って見えるのです。