こんなにも祈りを捧げているのに、ちっとも救ってくれないのですから。
やり場のない怒りをどこかに吐き出さなければ、生きていくことがままならなかった3人。
泣いて怒って後悔して、それでも人生は続くのです。
誰が幸せになれたのか
全員が犠牲者といっても過言ではないこのストーリーの中で、みんな不幸なまま終わってしまったのでしょうか。
死んだポールは不幸か
自ら左胸を撃ち抜いたポールは、手術が成功したとはいえ死にゆく運命でした。
傷の手当てが済んだからといって、再移植を拒んだ彼には生きる道が閉ざされていたのですから。
ラストシーンでは、生体反応モニターにはゼロという数値が表示されます。
ポールは死にました。しかしその命はクリスティーナのお腹の子供に引き継がれます。
別居していた妻との間に子供を作ることなくこの世を去ったポールが、唯一残した希望がその子供でした。
ポール自身は生きることはできませんでしたが、死ぬことがイコール不幸だと単純にいうことはできないのかもしれません。
ポールまで失ったクリスティーナは不幸か
交通事故で家族を全員失ったあげく、ポールまで死んでしまいました。
こんな状況ならクリスティーナが自殺してもおかしくないでしょう。
ですが、ポールの発砲で現実に引き戻された彼女は、事故後初めて子供の部屋に入ることができました。
ポールとの子供のために、苦しみを乗り越える最初の一歩を踏み出したのでしょう。
事故から目をそらして現実逃避していた彼女に、希望の兆しがわずかですが見受けられたのです。
これから新しい命を生み出す彼女は、幸せに近づきつつあるのかもしれません。
死にたいと願ったジャックは不幸か
刑務所内で自殺を図り、クリスティーナの暴行にも自らすすんで命を投げ出すジャックは不幸なままでしょうか。
彼もまたポールの発砲後、戻ることができなかった家族の待つ家に帰りました。
彼はこれまで神様に祈りを捧げて赦しを乞うてきましたが、救われることはありませんでした。
しかし彼は、自分で自分を赦すという考えを持つことができるようになりました。
だからといって、罪を背負うことから目を背けているわけではありません。彼は死ぬまで罪の意識を忘れることはないでしょう。
懺悔をしながら、自分の命をまっとうすることが罪を背負うことなのだと悟ったのです。罪と一生を共にする彼は不幸でしょうか。
帰ることができなかった家に戻る彼は、事故以前と同じとは到底いえないにしろ幸せなのだろうと思います。
「21グラム」は観る者にメッセージを伝えようとして作った映画ではありません。
私たちに「生きるとは」について考えて欲しいという想いが、監督にはありました。
生きていれば、立ち上がれないくらい苦しい出来事もあります。どんなに辛いことが起こっても、それでも人生は続くのです。