映画を考察していくと、子供が抱える闇を深く追求していないことに気が付きます。
ソニーは繊細で優しく、父親の思うように生きられなかった。
タイレルは寂しさのあまり過食症になるけれど、母親の思うようにふるまえず暴力を振るわれる。
劇中で子供達は死に、その死によって親が目覚めています。
親は子供を自分の思うように行動させたいと思っており、子供に人格や心がある事を無視し、差別と全く同じ方程式が成り立ちます。
親子関係が上手くいかないのは、親が子供を無意識に差別しているからとこの映画は教えてくれます。
チョコレートは愛の代用品を表現
「チョコレート」は邦題が素晴らしいと評される映画です。
しかし、なぜ原題と大きくかけ離れた「チョコレート」というタイトルになったのか考察してみましょう。
邦題「チョコレート」の意味
邦題ではサブタイトルが「たかが愛の代用品」です。
確かに、愛を求めたハンクやレティシアの息子タイレルはチョコレートによって愛を補っています。
また黒人の肌の色を表現しているともいわれています。
チョコレートの印象
映画タイトルを見てみると、チョコレートが度々登場します。
チョコレートの元をたどれば4000年程前の中米に遡り、ヨーロッパから世界中へ広まった歴史を持っています。
甘いイメージ、ほろ苦いイメージ、高級なイメージとその表情も様々です。
劇中では愛の代用品としての甘さと、差別や死と向き合う苦さも表現しています。
ヒース・レジャーの自殺シーンが残る
劇中で光るハル・ベリーの演技ですが、映画ファンにはソニー役のヒース・レジャーのシーンも強烈なインパクトを与えます。
ソニーの自殺が焼き付く
ソニー役のヒース・レジャーは2008年に薬物中毒でこの世を去っています。
バットマンのジョーカー役で、抜きんでた才能を発揮した直後の死でした。
劇中では繊細で心の優しい青年ソニーを演じ、ソニーはその繊細さゆえに自殺という道を選んでしまいます。
その姿がヒース・レジャー本人と重なってしまうと、映画を観返した多くのファンから悲痛な声が上がっています。
劇中で「死」で描かれた人物達
劇中では、死刑執行に耐えられず精神を病んでしまうソニーが登場します。
その他にもハンクの母親も自殺しており、寂しさのあまり過食症になったレティシアの息子も死んでいます。
黒人差別、看守(死刑執行人)という異常な世界において、いわばまともな精神を持っていた人物達が「死」を迎えています。
死刑制度や黒人差別、いかに正常な世の中を狂わせているかうかがい知ることが出来ます。
不器用な愛の切なさを痛感
様々な問題を提起した「チョコレート」は、結末を観客に委ねるという見事な手腕で作られています。
ハンクとレティシアは、人の愛し方が下手で大切なものを失ってから「愛」に気がつくのです。
愛を求めつつ、チョコレートを代用品にし毎日を生き抜いていく……。
不器用な二人の結末は、観る人の心に委ねられるのではないでしょうか。