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この映画には大きく2つの楽しみ方があります。
1つは「アメリカ人社会主義者でジャーナリスト」、実在のジョン・リードという人物を知ること。
そしてリードが生命を賭して著したロシア革命を記録した画期的ルポルタージュ「世界を揺るがした10日間」について知ること。
2つはハリウッドきってのリベラリストでもあるウォーレン・ベイティが自ら監督し、脚本を書き、主演した194分にも及ぶ大作の醍醐味を味わう事です。
妻ルイーズとの壮大な愛の物語でもある本作を、上記の2つに焦点を当てながら、その優れた面を見つめていきましょう。
ジョン・リードとは何者か
社会主義にアメリカの未来を夢みた男
多くの日本人はアメリカには民主党と共和党の2大政党しかない、と思っておられるかも知れませんが、そうではありません。
アメリカにも右から左まで様々な政党は存在します。
ジャーナリストだったジョン・リード(1887-1920)は第1次世界大戦へのアメリカ参戦反対を表明、また台頭してきた労働運動に共感します。
そうして次第に理想郷としての社会主義・共産思想に傾倒していきました。
その後ロシア革命が吹き荒れるロシアに妻と渡り、レーニンらに取材し、1917年の10月革命のルポルタージュ「世界を揺るがした10日間」を著します。
この著書はレーニンらから称賛を受ける一方、母国ではリードと妻は共産主義の要注意人物であるとのレッテルが貼られてしまいます。
リードは一旦帰国後、アメリカでも共産主義的世界の確立を理想とし活動します。
しかし、既に民主主義、資本主義の国として熟成しつつあった母国では彼は摘発の対象となってしまっていたのです。
一方、リードの体は腎臓病に冒されていました。
その後自らが率いてきたアメリカ共産党にも内部分裂が起き、アメリカでの革命の隘路を打開するため再び密航してロシアに渡ります。
失意のリードの最期
密航までして再びロシアの地を踏んだリードでしたが、ロシアの革命勢力が革命本来の理想を失いつつあるさまに失望します。
病に苦しみながら理想との乖離に悩んだリードは中東などに共産主義の理想を説く演説旅行に出ますが、これも虚しかったのです。
自分も密入国しリードを探していた妻と対面。しかし彼の命は尽きる寸前でした。
アメリカへ妻と戻りたい、そう願ったリードはロシアで生涯を終えました。
彼の魂は赤の広場にあるクレムリンの壁に、「ロシアの英雄」として埋葬されたのでした。それが彼にとって幸福だったのでしょうか。
帝政ロシアを追放したロシア革命
第1次世界大戦の疲弊と帝政がもたらしたボリシェヴィキの蜂起
ロシアでは第1次世界大戦で帝政ロシアがドイツ軍に大敗北を喫しました。
これをきっかけにして抑圧されてきた労働者階級(ボリシェヴィキ)がレーニンの元に蜂起し、2月革命が勃発。ロマノフ王朝は崩壊します。