出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B07D46DT77/?tag=cinema-notes-22
ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した【さよなら子供たち】は、ルイ・マル監督の強い自伝的要素のもと描かれています。
ユダヤ人の友との別れの際の神父の言葉の意味とは一体何だったのかを見ていきます。
第二次世界大戦中におけるユダヤ人迫害のこの作品の中には戦争の描写は一切ありませんでした。
それでも戦時中の辛く残酷に感じる理由も考察していきます。
監督の原体験を映画化した【さよなら子供たち】
子供目線で作られた映画
ナチス占領時代のフランスで起きた監督の原体験を元にしたことから、幼い頃の監督=子供目線で映画は制作されています。
学校ではいじめっ子でもありリーダー格のカンタンは12歳という年齢の割に甘えん坊で、いたずらも大好きな少年でした。
監督もまた子供らしさと大人びた面を持ち合わせた可愛らしい少年だったのでしょう。
戦時中という過酷な時期に仲良くなり、大変な時期を一緒に過ごした友人との急な別れと残酷さを鮮明に描いています。
実際に戦争を体感した監督だからこそ、自然でリアリティのある作品を撮ることができたのでしょう。
当時の痛みから逃げることなくまっすぐ思い出と向き合い苦しみながら作り上げたのではないでしょうか。
貧富の差とユダヤ人の友達との別れ
密告者であるジョセフは貧しく家もなく、寄宿学校に通う子供たちとは異なる環境で育ってきたのです。
女性経験があることのみが子供たちに勝っている点で、女性に貢ぐために学校の食料を盗んでは売りさばいていたのでした。
学校を追い出されたら寝る場所すらありませんでしたが、子供たちも神父ももちろん優しくはしてくれません。
大きく目立つほどの貧富の差がこの作品には投影されてもいたのです。
困窮していたジョセフにできる仕返しはユダヤ人を迫害することしか残されていなかったのでしょう。
寄宿学校に通っていたカンタンたちはひと目見ればわかるほどの富裕層の人間でした。
しかし、貧富の差だけでなく人種差別も一瞬ですべてを奪い去ってしまうのです。
ゲシュタポがやってきてボネたちが連れられても、目の前で起きることに対して何もできずにただ見つめる事しかできませんでした。
監督が抱えた傷と罪意識は消えることなく、長い年月が経って映像となったのでしょう。
ただ友達になっただけのふたり
秘密の共有がふたりの絆を深くした
ボネがユダヤ人とカンタンに知られるまでにさほど時間はかかりませんでした。
ボネが夜ひとりでお祈りしていることや豚肉を食べることができないことから始まり、ひょんなことから本名を見つけてしまいます。
子供ながらにこれはいけないことなのだろうと感じたのでしょう。カンタンはこのことを言わないまま過ごしていました。
その後ふたりの関係は一変して密接なものへと変わっていきます。