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「かぐや姫の物語」は高畑駿監督が手がけたスタジオジブリの映画で2013年に公開されました。
平安時代初期に成立したといわれている「竹取物語」が原作となっています。
「姫の犯した罪と罰」というキャッチコピーから作品には奥深い意味が隠されているような印象があります。
そこで今回はかぐや姫に課せられた真の罰とは何かを解説しながら、かぐや姫が月に帰る時に失ってしまったものは何かを徹底考察していきます。
高畑勲監督の最後のジブリ作品
2013年に公開された「かぐや姫の物語」は高畑駿が監督として最後に手がけた作品となりました。
企画から8年をかけた「かぐや姫の物語」は繊細なタッチで描かれた絵と奥深いストーリーで構成されています。
企画から8年かけて完成した「かぐや姫の物語」
「かぐや姫の物語」の前に高畑駿監督が手がけた作品は1999年に公開された「ホーホケキョ となりの山田くん」でした。
そのため全作品から14年ぶりに高畑監督の映画が公開されたことになります。
14年という長い年月を経ていますが「かぐや姫の物語」は企画が始まってから8年もの歳月を要した作品です。
当初は宮崎駿監督の「風立ちぬ」と同日公開の予定が立っていましたが、高畑駿監督が完璧な作品を追求していたため「かぐや姫の物語」は4ヶ月ほど遅れて公開されることになりました。
月と地球の関係
「かぐや姫の物語」では月の世界と地球の世界が対称的に描かれいます。この2つの世界はどういった関係性を持っているのでしょうか。
月は穢れのない涅槃の世界
「かぐや姫の物語」の原作となった「竹取物語」が語られていた当時、仏教において「生きる」ということは容易ではなく苦しいことと考えられていました。
繰り返される生と死の輪廻から解放され、苦しみのない平和で安らかな場所へ行くことが修行によってなし得るとされていました。その安らぎの地が「涅槃」です。
映画のラストシーンでかぐや姫を迎えに来る月の民は仏の姿をしています。
このことから「かぐや姫の物語」の中では月が仏教でいう穢れのない涅槃であることが分かります。
地球は穢れた禁断の地
一方、地球は人間の煩悩が満ち溢れた穢れた世界と捉えられています。映画の中でかぐや姫が地球のことを「禁断のこの地」とも話しています。
月で犯した罪に対する罰としてかぐや姫は地球に送られてしまうため、地球は「よくない場所」というニュアンスが含まれています。
月と地球は「穢れのない平和な世界」と「煩悩だらけの苦しい穢れた世界」として対称的に描かれていることとなります。
かぐや姫が夢の中で宴会の最中に屋敷から逃げ出し山へ戻る場面では、月が「穢れた地球の世界」を見下ろしているようなシーンが映し出され2つの対称的な世界を表現しているようにみることができます。
キャッチコピー「姫の犯した罪と罰」
「かぐや姫の物語」のキャッチコピーは「姫の犯した罪と罰」です。映画ではこのキャッチコピーに対する明確な説明はありません。
「かぐや姫の物語」のテーマは「罪と罰」
当初、高畑駿監督は「姫の犯した罪と罰」というキャッチコピーに賛同できませんでした。