映画の企画段階では作品のテーマが「罪と罰」となっていたため、プロデューサーの鈴木敏夫が「かぐや姫」と「罪と罰」を組み合わせこのキャッチコピーを決めました。
しかし制作が進むにつれて作品のストーリーが「罪と罰」というテーマから逸れてしまいます。
高畑駿監督は「姫の犯した罪と罰」はキャッチコピーとしてふさわしくないと考えたそうです。
ところがプロデューサーは「かぐや姫の物語」の宣伝やポスターを「姫の犯した罪と罰」というキャッチコピーのまま押し進めていきます。
そのため、このキャッチコピーに合わせるためにテーマから逸れていたストーリーを最初に決定していた「罪と罰」に沿ったものに戻したといわれています。
かぐや姫が月で犯した罪:地球への憧れ
かぐや姫は月という平和で穏やかな世界に住んでいるにもかかわらず地球への憧れを抱きます。
地球は穢れた禁断の地とみなされています。
穢れた地球に憧れることは穢れた心を持つことと一緒なので、地球への憧れが月ではかぐや姫の罪となってしまいました。
かぐや姫に課せられた真の罰
地球人のように生きることに憧れてしまったため、かぐや姫はその罰として月での記憶を消され地球に送られることとなりました。
かぐや姫の真の罰とは
かぐや姫は地球に住む人間のように生きたいと憧れましたが、地球の穢れた世界にだんだん疲れて心が病んでいきます。
そして帝から抱擁された際に限界が訪れ月に助けを求めてしまいます。
月に帰るということは映画の中では「死」に値します。
最後に仏の姿をした月の住民たちが雲に乗ってかぐや姫を迎えに来るシーンがありますが、このシーンは「阿弥陀二十五菩薩来迎図」がモデルとなっているそうです。
この来迎図は仏教において25人の菩薩が死者を極楽へ連れて行くこととされています。
かぐや姫に課された真の罰とは、かぐや姫を地球に下ろし人間として生きさせることで憧れを抱いた地球が穢れのある世界であるということを認めさせることだったのです。
かぐや姫が失ったものは記憶だけではなかった
かぐや姫は月に連れ戻される時にそれまで地球で過ごした日々の記憶を全て失ってしまいます。かぐや姫が失ったものは地球の記憶だけなのでしょうか。
かぐや姫はなぜ地球に憧れてしまったのか
かぐや姫は穢れがなく平和で何の問題もない月という世界でどうして地球に憧れを抱いてしまったのでしょうか。
それは月には存在しない動物や植物などの自然と接し、人間のさまざな感情と触れ合いながら成長することが本当に「生きる」ということだと感じたからです。
「かぐや姫の物語」で描かれているストーリーは「穢れた地球」に住んでいる私たちの人生と照らし合わせることができます。