そして意識を乗っ取られたヘンリーは、ペニーワイズの手先としてルーザーズクラブのメンバーを襲います。
しかしそれは皮肉ながら、いじめっ子ヘンリーのいつもの行動と変わらないのです。
彼の生死は、本作ではわかりません。
このヘンリーの顛末は、父親からの高圧的な態度に耐えかねたとはいえ、いじめはいけないという教訓でしょう。
またヘンリーも、ルーザーズクラブのメンバーたちのように恐怖や孤独という条件をもつ人物です。
ヘンリーは恐怖を克服しないとどうなるのかを示すために、「物語の展開として」ペニーワイズに支配されざるを得なかったと考えられます。
前作では、ペニーワイズに襲われたヘンリーのいじめ仲間パトリックを殺した罪を問われ、精神錯乱状態として収容されています。
そして27年後にペニーワイズの支配により脱獄するところから物語が動くので、まだ生きている可能性もあるのです。
なぜ子どもだけを狙う?
ジョージーの誘拐殺人から始まり、行方不明や殺人事件の被害に遭うのは全員子どもです。
その理由について、ペニーワイズの特性を考えながら考察していきましょう。
既に支配された大人たち
大人たちはデリーの街に何十年も住んでいるので、子どもの誘拐事件や殺人事件が頻発したところで慣れています。
加えて、そもそもペニーワイズは土地に根ざした意識体です。
その土地の住人の意識をじわじわと侵し、支配下におくことができます。
なので大人たちは既にペニーワイズに意識を支配されているのです。
ルーザーズクラブの親もその異常さをいかんなく発揮しています。
ビルの母親は昼間から無表情で不協和音のピアノ曲を奏で、ベバリーとヘンリーの父親は自らの子どもを容赦なく虐待。
エディの母は過保護すぎてヒステリックなモンスターペアレントです。
ジョージーの誘拐を見ていた老人は見なかったフリを貫き、他の住人も淡々と無表情で「行方不明」の貼り紙を重ねていきます。
ペニーワイズが恐ろしいというよりも、ペニーワイズに支配された大人たちの不気味さと過激さの方が恐ろしいでしょう。
恐怖に近づくペニーワイズ
登場人物ごとの考察でも述べてきた通り、ペニーワイズは恐怖に近づいて意識を支配します。
じわじわと意識を乗っ取ることもできるのに、なぜ子どもたちに近づくのでしょう。
それは、子どもが「恐怖」という感情を手に入れるのは遅いためです。
一般的に、人間は5歳で基本的な感情を手に入れるといわれています。
そこからは社会的な経験に基づいてさらに複雑な感情を取得していくのです。
赤ちゃんのような、あまりに幼すぎる子どもはまだ「恐怖」という感情すらもっていません。
そして少年時代を過ぎると、今度は経験が豊富になりすぎて恐怖以外の複雑な感情を取得してしまいます。
純粋な恐怖を感じられるのは、少年時代特有なのです。
恐怖を餌とするペニーワイズは、恐怖のあるところに現れてその恐怖のレベルを引き上げます。
そして恐怖のレベルが一定以上であれば捕食対象、一定以下であれば意識を支配するに留めるのです。
これが「ジョージーは殺され、ビバリーは浮いていた」理由でしょう。
意識を支配できた子どもからはその恐怖だけを捕食します。
後は家へ戻したりヘンリーの様に手先にしたり、都合よく使うことができるでしょう。
デリーの街では他人に関心がありませんから、誘拐された子どもがいつ戻ってこようと問題にはなりません。
他の子どもも、もしペニーワイズが撃退されなければ住人として戻されるか手下として利用されていたことでしょう。
そうして意識を支配された大人たちで、デリーの街は出来上がっていたのです。
子どもだけが怪物を信じる
原作者のスティーヴン・キング氏は、「子どもの恐怖」「ピエロ姿で現れるペニーワイズ」にこだわっています。
「子どもだけが怪物を信じる」とはスティーヴン・キングの談です。
大人になれば、ベッドの下には何もおらず天井の模様はただの模様だと思います。
しかし子どもは、暗闇でベッドの下から出てくる怪物や天井の顔のように見える模様が飛び出してくることを想像し、恐怖するのです。
スティーヴン・キング氏の描きたかったペニーワイズは、そうした子どもたちの「想像力」でもあるのでしょう。
想像に怯えるのは子どもの特権です。
大人は想像を笑い飛ばします。
だからこそ、ペニーワイズは子どもを狙うのです。
それはある意味で、この「IT」という作品が「子どもの純粋さ」を描いた作品だからともいえるでしょう。
笑い声で終わるのは
本作はペニーワイズの不気味な笑い声で終わります。
そしてさらに「Chapter1」つまり「第1章」と表示されています。
これはまだ物語に続きがあることを示していると解釈してまず間違いないでしょう。
ペニーワイズは本当に撃退されてはいないのです。
前作「IT」では27年後、ルーザーズクラブのメンバーが大人になってからのことも描かれています。
原作小説でも同じです。
本作はまだ子ども時代のことしか描いていません。
そしてその続編では、恐らく小説や前作と同じような展開が待っていることでしょう。
本作よりも大変残酷な展開が予想されます。
しかしながら、1度は恐怖に打ち勝った子どもたちは大人になっても恐怖に打ち勝てるのかという点は見どころとなるでしょう。
というのも、ルーザーズクラブのメンバーは「怪物が実在すること」を知ってしまったのです。
そして未だにペニーワイズの存在を信じています。
洗脳されず、純粋な恐怖をもったまま大人になったルーザーズクラブのメンバー。
彼らは笑いながら冬眠に入ったペニーワイズの存在をどう思っているのでしょうか。
子どもの時とは変わったそれぞれの恐怖の対象についてもまた改めて考えなければならないでしょう。
もう一度観る…?
本作は「子どもたちの成長物語」、「冒険譚」などと評されることも多いです。
しかしよく観ると、虐待や過保護な親、見て見ぬふりする住人たちなどの「現代に通じる問題」をも扱っています。
肉体をもてる意識体というペニーワイズの設定はなかなかチートです。
しかしそれに立ち向かう「心の在り方」には見習うべきところがたくさんあるでしょう。
残酷な描写も恐ろしいシーンも多いですが、見方を変えてもう一度ご覧になるのはいかがでしょうか。