例えばデイジーの表の顔はお金持ちの父親を持つ甘ったれなお父さん子。裏の顔は父親と肉体関係を結ぶ近親相姦に溺れる少女。
デイジーはこの裏の顔をリサに暴かれ、自我の崩壊に耐え切れずに自殺したのです。
表の顔と裏の顔を持つことはデイジーに限ったことではありません。
仲間たちの裏の顔を暴いた日記
スザンナの退院が決まった頃、リサがスザンナの日記を仲間たちの前で読み上げるシーンがありました。
その日記に書かれた内容がまさに仲間たちの裏の顔です。
書かれた本人たちはその内容に納得いかなかったでしょう。野次を飛ばしたりブーイングの嵐でした。
しかしこの裏の顔を本人が受け入れなければ、一生外の世界に戻ることができません。
この映画が表現している真の「境界」とは表の顔と裏の顔をハッキリさせる境目であり、曖昧にしたままではいけないのです。
スザンナはこの事に気づき、嘘つきで偽善者な自分の一面を肯定することで境界を見つけることができました。
快復の真の意味
デイジーは退院することができましたが、本当の意味で快復していなかったために暴かれた裏の顔が引き金になり自殺しました。
リサはデイジーの自殺をバカバカしいと 一蹴しましたが、スザンナは違います。
スザンナはデイジーの自殺によりリアルに死と直面したのです。
現実と向き合えた瞬間
スザンナは病院に入る時の面接で「手の骨がない」と発言していました。
これは自我が定まっておらず現実を現実として捉えられていない証拠です。
何に対してもリアリティーを感じず、なんだかふわふわした感覚がスザンナを支配していました。
しかしデイジーの衝撃的な死はスザンナの目を現実に向けさせたのです。
これがきっかけで、リサと一緒にいたら自分にもデイジーと同じ結末が待っているという現実に気付いたスザンナ。
快復への準備が整った瞬間です。
快復を果たしたスザンナ
日記を暴露されたスザンナはリサと激しい口論を繰り広げます。嘘にまみれた偽善者だとののしられたのです。
相手の真実を指摘する鋭いリサの言葉に、今までのスザンナだったらデイジーと同じように耐えきれず自殺してしまったはず。
しかしもう怯みません。 裏の顔を受け入れたことで真の快復を果たしたのです。
喧嘩シーンの意味
日記の暴露から始まった2人の口論。自分なりの本当の自由を主張し合います。