『インセプション』のリンボは人が神のように世界を創造する夢の最深部のこと。
神に反する罪人が集まるどこでもない場所という意味で、カトリックのリンボと重なります。
ノーラン監督がリンボという呼び名にしたのもこのような共通点を見出してのことだったのではないでしょうか。
潜在意識だけが存在する夢の王国
『インセプション』におけるリンボ・虚無はサイトーのように夢の中で死んだ人。またモルのように現実世界を拒絶した人が落ちる場所です。
その意味で虚無という日本語訳は適当でしょう。映画には夢の階層がありますが、虚無だけは他と違っています。
虚無は夢を見ている人・夢の主がいなくても成立し潜在意識だけが存在します。また創造力が無限に働かせられる夢の王国だともいえるでしょう。
それは心理学者ユングのいう集合的無意識とも重なります。人は心の最深部・無意識の中では皆つながっていて、共通の世界を生きている。
そんな概念なのですが、それはこの映画の虚無と似ています。この虚無がある事で『インセプション』の世界観は果てしなく深く見えるのです。
虚無が5つ目にくる5次元世界のルールとは
『インセプション』を観て、何が何だかよく分からなかったという人は多いでしょう。
それもそのはず、映画の中盤以降は、主に5つもの違う世界・階層があるのです。
1つ目は皆で飛行機で眠っている現実。2つ目はカーチェイスのあるユスフの見る夢。3つ目は無重力のホテルで格闘するアーサーの夢。
4つ目は雪山で武装集団と銃撃合戦をするイームスの夢。そして5つ目が虚無になります。さらにこの5つはわずかにリンクしています。
例えば3つ目の世界でホテルが無重力なのは、2つ目の世界で皆が乗っている車が橋から転落しているからです。
また5つ目の世界・虚無にいるモルが4つ目の世界・雪山の病院に現れたりもします。
これ以外でも虚無にいるモルは夢のさまざまな階層に影響を及ぼします。
ここには、虚無という世界が遠くにあるようで近くにもあるというその真意がふくまれているのではないでしょうか。
それぞれの世界で時間軸が異なり、1から5に向かうほど時間の流れが加速度的に遅くなるのもポイント。
こういうことを頭に入れてもう一度観れば、おそらく理解が深まるのではないでしょうか。
夢と現実どちらが本当の世界
モルは現実世界と虚無にある夢の王国がひっくり返ったアイデアを持っています。虚無こそが自分の生きる現実だと思い込んでいるのです。
これは夢か現実かというのはSFの定番設定です。『インセプション』はそこを超えて現実と夢には境界線があるのかという問いを投げかけます。
SF小説の大家、フィリップ・K・ディックもまたその虚実混交の世界観を書き続けた人です。
『インセプション』の最後のコマが回り続けるならば、コブはモルと同じく虚無の世界にこそ真実味を感じたということにもなります。
現実と心の最深部。いったいどちらが本当の世界なのか。これは永遠の謎ともいえることでしょう。