実際トジュンの母と同じ立場に立たされたとしたら…多くの人はそこで迷うはずです。
映画は単純な正義よりも自らのエゴを取る人間のリアリズムを突きつけました。
道徳の教科書のような物語よりも人間のリアルな悪・弱さを暴く物語の方が良かったのではないでしょうか。
少なくともその方が人の共感をより集め、そしてその悪をよりデフォルメすることができます。ここは大いに意見が分かれる所でしょう。
愛と狂気は紙一重
映画はストーリーの大転換と共に、それまで美化されてきた母性愛が狂気にひっくり返りました。
ここにもまたこの作品の味わい深さがあります。母性愛とは多くの場合、神聖化され絶対的な善として見られてきました。
しかし本作は、その母性愛ですら悪や狂気をはらんでいるという奥深い真実を突きつけます。
もし勧善懲悪のストーリーであれば、この味は出せなかったでしょう。映画はときに、悪い方向に進んだほうがより豊かになるものなのです。
母子のドラマだけでは終わらない魅力
『母なる証明』は母子を軸にした社会派ヒューマンドラマでありながら、それ以外にも優れた面があります。
それは犯罪ミステリーとしても楽しめる作品だということです。
ほとんどの人は、まさかトジュンが真犯人だったとは思いもしなかったでしょう。
ミスリードの最大の要因は、精神病者は冤罪になりやすいという一般的な思い込みだったはずです。
無実を晴らすために母が奮闘するというのもよくある話です。多くの人はまずこの吸引力に逆らえなかったことでしょう。
他にもトジュンが先に親友によって罪をなすりつけられていたこと。被害者のアジョンに男関係が多く、その数人が証拠隠滅に走っていたこと。
そういった数々のミスリードが効いて、多くの人があっと驚く映画になったといえるでしょう。
加えてトジュンが真犯人であることやジョンパルが無実の人であることの伏線もしっかりしていました。
また最大のミステリー・アジョンがなぜ屋上に干されていたかについてトジュンが他人事のように語って明かす演出も冴えていました。
何よりも、こういう優れたミステリーを重厚な人間ドラマに巧みに絡ませていることに感心させられます。
ポン・ジュノ監督がなぜカンヌの最高賞を獲ったのか。
その栄冠に輝く10年前に作られたこの映画を観れば、多くの人がそれを納得できるでしょう。