注目キーワード
  1. 映画
  2. シネマ
  3. 洋画
  4. 邦画

【フルメタル・ジャケット(ネタバレ)】軍曹の指導目的を解説!何故レナードは軍曹を殺した?極限状態で歌われる歌の意味とは

出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B009CR21JU/cinema-notes-22

鬼才スタンリー・キューブリックが監督し1987年に公開された『フルメタル・ジャケット』

この作品は他のベトナム戦争を扱った映画とは違った視点から戦争を捉えた映画でした。

1980年代は、かの『プラトーン』や『ランボー』など数々の映画でベトナム戦争が描かれています。

その中でも異彩を放つ本作は、一度観たら忘れられない衝撃を観客に与えます。

その映像体験の鮮やかさは見事としか評しようのないものです。

本作はキューブリックの作品らしく素直な感情描写や解りやすい状況説明がほぼ皆無の作品です。

この記事では、映画から読み取れる登場人物の感情や状況をできるだけ解りやすく解説していきます。

ハートマン軍曹とは何者か?

フルメタル・ジャケット [DVD]

映画の前半で強烈な存在感を誇っていたハートマン一等軍曹

彼の放つ罵詈雑言は非常に過激で下劣で悪辣でしたが、それが一級品の魅力となっていました。

下品な卑語を怒鳴っているにも関わらず品性を失わなかったのは、彼なりの信念と目的があったからです。

海兵隊新兵訓練基地

ハートマン軍曹は徴兵されてきた若者を兵士に仕立て上げる役割を担っていました。

兵士はもちろん戦場に投入され戦闘行為をしなければなりません。

その頃アメリカは「人気のない」戦争であるベトナム戦争の泥沼に嵌っていました。

兵士たちは反戦運動が巻き起こる中、アジアにあるベトナムに赴き敵を殺さなければなりません。

戦闘時には敵の兵士だけでなく民間人も殺します。

普通の人間の精神は、人を殺せるようにはできていません

成長する過程で殺人は禁忌であると自然と学び、それが当たり前になるのです。

しかし、今まで培ってきた精神のままでは人を殺せません。

訓練期間である8週間で、いかにして効率的に普通の若者を兵士にするか

その目的に則って行われたのが、ハートマン軍曹指揮のもとで行われる訓練でした。

強烈な罵倒

大きな写真、「フル・メタル・ジャケット」鬼教官、恐怖の罵声、カメラ目線

新兵たちはまず、人間であることを否定されます。

訓練所に集った若者たちに、自分は人間ではなく価値のないウジ虫だと刷り込んでいくのです。

今まで普通に生きてきた若者たちは、日常から切り離され隔絶された逃げ場のない場所で人間以下の扱いを受けます。

それだけでは飽き足らず、ハートマン軍曹は個人も徹底的にこき下ろしていきます。

軍曹は訓練生の名前を呼ぶことはせずあだ名をつけていきます。

このようにして、若者たちは今まで培ってきた人格を無価値であると切り捨てられ否定されます。

普通の若者を兵士にするために

フルメタルジャケットCムービーポスター11 x 17マシュー・モディンR。Lee Ermey Vincent D 'onofrioアダム・ボールドウィン Unframed 222785

以上に述べたように、普通の状況では明らかに異常なことに若者たちは慣らされていきます。

軍曹の指導方法

訓練基地に来る前の若者たちには、それぞれに歴史があり、人格があり、意思があったでしょう。

しかし基地内では個人の歴史を消され、人格を消され、意思を否定されます。

そして圧倒的で理不尽な暴力に晒され、それに反抗すると徹底的に制裁されます。

このような環境に拘束された若者たちの精神は、だんだんとその異常な環境に適応していきます。

肉体が鎧を纏うように、精神に鎧を纏うのです

軍曹の指導目的

ハートマン軍曹の狙いはそこにありました。

鎧を精神に纏う、つまり海兵隊向きの人格を新たに植え付け、戦場で機能するようにしているのです。

即席で作られた兵士としてのマインドは、戦場で生きるために必要なものです。

普通の精神では耐えることの出来ない戦場のストレスに耐えるため、頑丈な鎧で精神を守る必要があります。

海兵隊として指揮官の統率の元に従順で優秀な恐れを知らぬ殺戮者を量産するために

アメリカから遠く離れたベトナムで人を殺すために。

異常な場所で異常なことをするために、海兵隊の権化であるハートマン軍曹の苛烈な指導はあったのでした。

その指導は効率的に戦争をする兵士を育てるためだけではなく、正常な精神を守るためになされたことでもあったはずです。

つまり鎧を脱げば正常な精神が残っているように、あえて仮の人格を植え付けているのです。

しかしその方法論が有効なのは、正常な精神を持っている若者に限ったことでした。

ほほえみデブの場合

フルメタル・ジャケット (角川文庫)

ほほえみデブことレナードは生来の鈍さ故に訓練についていけず、軍曹から強烈なしごきを人一倍受けます。

レナードの精神

レナードが軍曹にされた仕打ちで印象的なのは、親指を吸う仕草です。

この仕草を強要されてから、彼はどんどん幼児化していきました。

ジョーカーがバディになったことも、レナードの幼児化を加速させます。

軍曹の指導によって、レナードの脆弱な精神が急速に萎んでいくのがわかります。

軍曹の指導は、本来ある人格を叩き潰し、海兵隊仕込みの鎧の中に精神を押し込むためのものでした。

その本来あるはずの精神が無くなった場合はどうなるでしょうか。

精神ではなく、魂そのものが叩き潰されてしまうのです。

空っぽの心

普通の若者たちは、今まで普通の世界で育て上げてきた人格を覆うように海兵隊の人格を心に鎧のように纏います。

生身の人間を兵士にするため、海兵隊は若者たちに殺戮者の鎧をつけるのです。

しかし、レナードは人格の成熟度が普通の若者よりも低かったのでしょう。

ただでさえ軍曹の指導で限界を感じていたにも関わらず、それに加えて訓練生たちからの制裁もありました。

あの訓練生からの制裁によって、レナードの魂は壊されてしまいました。

魂が抜けたような顔で、レナードは着実に訓練をこなしていきます。

その訓練とは、殺戮者としての鎧を作る訓練です。

もし、鎧の中身が空っぽだったらどうでしょうか。

その場合、鎧の中の空洞には、殺戮者の人格が満たされます。

空っぽの心に注ぎこまれたものは、不純物のない、純度の高い殺戮者としての人格だったのです。

殺戮者の完成

実物空薬莢使用 .308ウィンチェスター弾 ダミーカート 1発

レナードが訓練を終え、正式に海兵隊員になった時、殺戮者は完成されてしまいました。

訓練の卒業

訓練を終えたということは、ウジ虫だった自分が海兵隊になったということです。

恐れを知らず勇猛に敵を殺すのが海兵隊です。

レナードの空っぽの鎧の中には殺戮者としての人格が満たされています。

「フルメタル・ジャケット」とは、鉛弾を硬い金属でほぼ完全に覆った弾丸のことです。

子どものように純粋な、狂気という火薬が詰められた完全被甲弾

その弾の一番最初の犠牲者になったのは、奇しくもハートマン軍曹でした。

おそらく誰でも良かったのでしょう。

レナードの敵であれば、その弾が向かう対象は誰でも良かったのです。

ジョーカーでも良かったでしょう。

しかしジョーカーはレナードの敵ではなかったので、殺されなかったのです。

敵は誰だ?

ハートマン軍曹を殺した後、レナードの敵は自分自身になってしまいました。

トイレで自分を怒鳴りつけた教官は敵でした。しかし、軍曹は本来海兵隊の上官です。

味方を殺すのは敵。軍曹を殺したのは自分。自分は敵である。レナードはそう判断し、自分を殺したのかもしれません。

皮肉なことですが、ハートマン軍曹の狙い通り海兵隊という組織に従順で優秀な殺戮者としてレナードは育っていたのです。

海兵隊の指導目的を完全に体現し、あまりにも理想的で純粋な海兵隊員になってしまった結果がレナードだったのではないでしょうか。

海兵隊は素直でひたむきで純粋で無邪気で、怖いもの知らずな兵隊を求めました。

海兵隊が若者たちに着せた鎧は、外から見るときっと子どもの姿をしているのでしょう。

戦場という異常

平和のシンボル - ホワイト+ブラック(バッジ/マグネット/キーリングは栓抜き)(バッジ(25ミリメートル))

戦場は異常な場所です。私たちの住む日常とは完全に異なっています。

そこで人殺しをするための訓練をジョーカーやレナードはしてきました。

ジョーカーの二重性

訓練を終えたジョーカーはベトナムに派遣されました。

そのジョーカーはヘルメットに「生来必殺」と書き、胸に平和のバッジをつけています。

それは兵士たちの状態を端的に表すものでした。

訓練基地で頭に殺戮者としての人格を書き込まれたが、胸に秘めた心には平和を掲げている。

これを隠すことなく体現できるのが、ジョーカーの主人公たる所以でした。

彼は自分の葛藤を臆することなく表現していたのです。

完全被甲弾 フルメタル・ジャケット

主人公としてその葛藤を抱えたまま戦場に投入されたジョーカーは、少女を殺します。

ジョーカーが少女を前にして葛藤している時、じわじわと平和のバッジが画面から見えなくなっていることに気付いたでしょうか。

平和のバッジがほぼ完全に隠れた時、ジョーカーは少女を殺すために引き金を引きます。

バッジはただの飾りとなり、彼は頭に「生来必殺」を掲げた一兵士になりました。

海兵隊が求めていたのは、恐れを知らぬ殺戮者です。

一縷の人間らしさを胸に抱いていたジョーカーも、最後には本当の海兵隊員になりました。

ここに、ジョーカーの「フルメタル・ジャケット」が完成したのです。

軍隊が如何にして兵士という「フルメタル・ジャケット」を量産し出荷するか。

この映画はその過程をまざまざと映し出しています。

子どものためのミッキーマウス・マーチ

ポスタ- アクリルフォトスタンド入り A4 パターンA フルメタル・ジャケット 光沢プリント

恐れ知らずの完全被甲弾となった兵士たちは、子どものような純粋さで人を殺していきます。

子どもっぽい行動を大人がしているのはどう見ても狂気の沙汰です。

しかし子どもの単純で純粋な思考でなければ、戦場という地獄では生きられないのです。

狂ったこの世で狂うなら気は確かだ、とシェイクスピアは言いました。

狂気に満ちた戦場で気を確かに持つには、子どものような狂気を身に着けるしかないのです。

恐怖を忘れ死を忘れるために、兵士たちは狂ったフリをして子どものようにエロスを求め、縋るようにミッキーマウス・マーチを歌うのです。

戦争に放り込まれる人間たちを描いた映画

フルメタル・ジャケット (字幕版)

この映画は、一般人が如何にして組織的人殺しに加担するかを描いた映画です。

非日常に閉じ込められ、それまでの日常を一切忘れさせられる。

そこに戦争にとって都合のいい人格を移植され、人を殺す弾丸として戦場に出荷されていく。

この映画は、「戦争は悪いものだ」という思想を表明するために作られた映画ではありません。

ただありのままの戦争を描くことで、戦争への忌避感や嫌悪感を喚起させる映画なのです。

この映画が一般的な反戦映画と一線を画す点はそこにあります。

そこが天才キューブリックの才能の発露であり、我々が刮目すべき要点です。