味方を殺すのは敵。軍曹を殺したのは自分。自分は敵である。レナードはそう判断し、自分を殺したのかもしれません。
皮肉なことですが、ハートマン軍曹の狙い通り海兵隊という組織に従順で優秀な殺戮者としてレナードは育っていたのです。
海兵隊の指導目的を完全に体現し、あまりにも理想的で純粋な海兵隊員になってしまった結果がレナードだったのではないでしょうか。
海兵隊は素直でひたむきで純粋で無邪気で、怖いもの知らずな兵隊を求めました。
海兵隊が若者たちに着せた鎧は、外から見るときっと子どもの姿をしているのでしょう。
戦場という異常
戦場は異常な場所です。私たちの住む日常とは完全に異なっています。
そこで人殺しをするための訓練をジョーカーやレナードはしてきました。
ジョーカーの二重性
訓練を終えたジョーカーはベトナムに派遣されました。
そのジョーカーはヘルメットに「生来必殺」と書き、胸に平和のバッジをつけています。
それは兵士たちの状態を端的に表すものでした。
訓練基地で頭に殺戮者としての人格を書き込まれたが、胸に秘めた心には平和を掲げている。
これを隠すことなく体現できるのが、ジョーカーの主人公たる所以でした。
彼は自分の葛藤を臆することなく表現していたのです。
完全被甲弾 フルメタル・ジャケット
主人公としてその葛藤を抱えたまま戦場に投入されたジョーカーは、少女を殺します。
ジョーカーが少女を前にして葛藤している時、じわじわと平和のバッジが画面から見えなくなっていることに気付いたでしょうか。
平和のバッジがほぼ完全に隠れた時、ジョーカーは少女を殺すために引き金を引きます。
バッジはただの飾りとなり、彼は頭に「生来必殺」を掲げた一兵士になりました。
海兵隊が求めていたのは、恐れを知らぬ殺戮者です。
一縷の人間らしさを胸に抱いていたジョーカーも、最後には本当の海兵隊員になりました。
ここに、ジョーカーの「フルメタル・ジャケット」が完成したのです。
軍隊が如何にして兵士という「フルメタル・ジャケット」を量産し出荷するか。
この映画はその過程をまざまざと映し出しています。
子どものためのミッキーマウス・マーチ
恐れ知らずの完全被甲弾となった兵士たちは、子どものような純粋さで人を殺していきます。
子どもっぽい行動を大人がしているのはどう見ても狂気の沙汰です。
しかし子どもの単純で純粋な思考でなければ、戦場という地獄では生きられないのです。
狂ったこの世で狂うなら気は確かだ、とシェイクスピアは言いました。
狂気に満ちた戦場で気を確かに持つには、子どものような狂気を身に着けるしかないのです。
恐怖を忘れ死を忘れるために、兵士たちは狂ったフリをして子どものようにエロスを求め、縋るようにミッキーマウス・マーチを歌うのです。
戦争に放り込まれる人間たちを描いた映画
この映画は、一般人が如何にして組織的人殺しに加担するかを描いた映画です。
非日常に閉じ込められ、それまでの日常を一切忘れさせられる。
そこに戦争にとって都合のいい人格を移植され、人を殺す弾丸として戦場に出荷されていく。
この映画は、「戦争は悪いものだ」という思想を表明するために作られた映画ではありません。
ただありのままの戦争を描くことで、戦争への忌避感や嫌悪感を喚起させる映画なのです。
この映画が一般的な反戦映画と一線を画す点はそこにあります。
そこが天才キューブリックの才能の発露であり、我々が刮目すべき要点です。