日本人であれば同じ言葉を話す邦画を見ればすぐに時代が分かります。生き物でもある言葉にはその時代ごとに固有の特徴があるからです。
ハリウッド映画でもその英語の話し方によって多くの日本人は大体の時代感がつかめるでしょう。
その点ナッドサット語が満載の『時計じかけのオレンジ』はある程度、そんな言語的風化を免れます。
トルチョック(殴る)・ドルーグ(仲間・友達)・ビディ(見る)・デボチカ(女の子)。
そういった人工語は混ぜるだけで大昔の言葉が持つ固有の古さを消してくれます。
特に英語圏の人が今もこの映画に新鮮なイメージを感じるのは、ナッドサット語があってのことでしょう。
アレックスたちドルーグはなぜ暴力に走るのか
『時計じかけのオレンジ』は過激な暴力映画としても広く認知されています。なぜあそこまで暴力がはびこっていたのでしょうか。
格差
アレックスたちドルーグ(仲間)はケンカや強姦や強盗に日々明け暮れています。その最たる要因は格差にあるのではないでしょうか。
映画は不特定の時代を舞台にしていますが、明白に貧富の差が描かれています。アレックスたちが夜に襲撃するのは決まって豪邸です。
一方で、アレックスの自宅があるマンションの入り口付近はまるで空き家のように荒れていました。作中にはまた浮浪者の群れも登場します。
その貧富のギャップは映画全般で強調されていました。いつの時代も若者の反社会的な暴力の根源には格差があります。
アレックスたちもその理不尽さを暴力で晴らしていたといえるでしょう。
社会に変革をもたらす衝動
しかしアレックスは貧困層の若者だともいえません。良いマンションではありませんが彼にはおしゃれな部屋があり心優しい両親もいます。
おまけに可愛いデボチカ(女の子)たちを連れ込めるほど部屋には立派なオーディオセットまであります。
アレックスはアーティスト型の不良だという見方もできるでしょう。そういう不良はエゴのために反社会的な行動を起こしません。
実際、アレックスがドルーグと仲間割れをしたのは、彼がいつまでもお金に執着せず本物の強盗になりきれなかったからです。
そういうタイプは社会に変革を起こすために犯罪を起こすものです。
アレックスの暴力性の根源にはより良い社会を作りたいという願望もあったのかもしれません。
アレックスは暴力的な衝動を克服できたのか?
センセーショナルなBGMの元、天国のような場所でアレックスがセックスに興じる姿でこの映画は幕を閉じます。
「完全に治ったね。(i was cured all right)」
引用:時計じかけのオレンジ/配給会社:ワーナー・ブラザース
そんなセリフも加わるこの1シーンは一体、何を意味するのでしょう。文字通り、アレックスは自身の暴力性を克服できたのでしょうか。
ほとんどの人はそうは思わなかったでしょう。これはキューブリック監督流の意地悪なアイロニーであるはずです。
夢想として描かれるこの場面はアレックスの内在化された衝動ではないでしょうか。ルドヴィコ療法は彼の暴力性を根治できなかったのです。
そのため療法による条件反射の効力が切れればアレックスの衝動は再び表面化し、暴行や強姦につながるでしょう。
結局、科学療法を施しても自殺未遂を起こしても世間から同情されても、彼はまったく変わらなかったのです。