このシーンでジュールスはそんなアーノルドくらいじゃまだ人格者ではないとからかい、ヴィンセントはそれに笑ったのです。
エゼキエル書の説教シーン
ジュールスが殺しの前にエゼキエル書の文言を高々と読み上げるシーンは印象的です。2つの視点から見てゆきましょう。
『Karate Kiba(ボディガード牙)』の序文の引用
エゼキエル書の文言は映画用のフェイクだとはよく知られています。しかしそれはタランティーノのオリジナルではありません。
はっきりいってそれは千葉真一主演の映画『ボディガード牙』のパクリなのです。
この映画がアメリカで『Karate Kiba』として公開されたとき配給会社は独自の序文をつけ加えました。
それがこちらのウィキペディアで見れます。
ご覧の通りエゼキエル書の文言はここからほぼ完全コピペ状態です。タランティーノ・ファンにはちょっとショックな事実かもしれません。
ちなみに殺しの前に前口上をいう演出も日本の時代劇から影響を受けているようです。
ジュールスが強盗をリンゴと呼んだ理由
ジュールスが強盗パンプキンにエゼキエル書について解説しているとき少し引っかかることがあります。
それはジュールスがパンプキンを「リンゴ」と呼び始めることです。これには何でなんだと思った人もいるでしょう。
よく彼がビートルズのリンゴ・スターに似ているからだといわれていますが、それは誤解です。
ただ、リンゴが英国出身のビートルズから来ているのは正しいです。
アメリカでは英国なまりの話し方をする人を総称して「リンゴ」と呼ぶからかいの習慣があるそうです。
またビートルズの4人の中からリンゴが選ばれたのにも訳があります。
リンゴという響きが珍しいことと彼がグループの中で道化役だったからだといわれています。
このシーンでのジュールスもまた英国なまりの強盗をからかい半分で「リンゴ」と呼んだのでしょう。
ちなみに強盗役のティム・ロスは本当に英国出身の俳優です。
ヴィンセントを生き返らせた画期的な構成
『パルプ・フィクション』は最後にヴィンセントが生き返るなどシュールな仕上がりになっています。その奇妙な構成法を掘り下げましょう。
フラグメンツ構造
ヴィンセントが生き返ったことを理解するにはまずフラグメント構造を知る必要があります。
『パルプ・フィクション』という題は主に1970年代のアメリカの低俗なB級小説の総称から来ています。
タランティーノはそういう小説の寄せ集めを作ろうとしたのです。
それによってバラバラなエピソードが時系列も無視して散りばめられることになりました。しかしそれは同時に1つの映画にもなっています。
映画を部分的に解体して非時系列的に再構成したものはフラグメンツ構造とも呼ばれます。
『パルプ・フィクション』以降そういうフラグメンツ映画は数多く作られましたが、この映画ほど見事なものはないでしょう。
最大の長所は最初と最後のシーンを結びつけて統一感を出していること。またジュールスと強盗カップルの視点が最後にうまく融合されること。
そういった点でこの映画はただの意味不明な話にはなっていないといえます。
甦るヴィンセント
ヴィンセントはブッチに殺されますが、最後のエピソードに再登場します。
それも非時系列構成だからであり、最後のシーンは殺害より時間的に先に位置づけられます。
なのでヴィンセントが甦ったわけではありません。ネット上には生きているのではという都市伝説もあるようです。
しかしヴィンセントの殺害には物語上の必然性があります。彼にはトイレでマンガを読む習慣があります。
時間的に先に起こったレストランでの強盗シーンでは、そのおかげで彼は強盗に脅されずジュールスの援護に回ることができました。
しかしブッチの部屋ではそのせいで彼が家に戻ったのに気づけず殺されてしまいました。