注目キーワード
  1. 映画
  2. シネマ
  3. 洋画
  4. 邦画

【パルプ・フィクション】くだらない会話に隠れた意味深な名言を徹底考察!死んだヴィンセントがラストシーンにいるのは何故?

出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B07VJ728BL/cinema-notes-22

1990年代の始めにハリウッドの若きアウトサイダーとして華々しく登場したクエンティン・タランティーノ監督。

そんな彼も今ではアメリカ映画界の巨匠とも呼べる存在になっています。

2019年製作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は2020年のオスカー作品賞の最有力候補に挙がっているほど。

しかしその代表作は1994年製作の『パルプ・フィクション』だと答える人は世界中に数多くいるはずです。

今回は公開から四半世紀が過ぎても色あせることのないこの伝説的な映画について大いに語りましょう。

一見くだらないと思われる数々の会話には隠れた魅力があります。

英語のオリジナル原稿を元にして饒舌マシンガントークゆえに日本語訳では拾い切れなかったその意味に迫ります。

また最後のエピソードでヴィンセントが生き返ることで明らかになるユニークな構成についても解説しましょう。

伝説・ハンバーガーの話を深読みする

★直筆サイン◆パルプフィクション◆PULP FICTION (1996) ★ティム ロス as パンプキン ★Tim Roth as Pumpkin ★アマンダ プラマー as ハニー バニー ★Amanda Plummer as Honey Bunny ★豪華2名♪

ヴィンセントとジュールスが交わすハンバーガーの話は他愛のない会話です。

しかしそこには知られざる知見と続くシーンを生かす効果があったのです。

ハンバーガーの重さになぜメートル法が関係あるのか

ハンバーガーの話は、ヨーロッパ旅行に行ったばかりのヴィンセントがジュールスに語るものでした。

パリではマクドナルドの人気ハンバーガー、クォーターパウンダーが「Royale with Cheese:チーズ・ロワイヤル」と呼ばれている。

クォーターパウンダーとは1ポンドの重さの4分の1、つまり0.25ポンド(約113.4グラム)の重さのハンバーガーを意味します。

ヴィンセントはクォーターパウンダーではない理由としてフランスがメートル法の国であることをあげました。

しかしメートルは長さの単位なので、「フランスはグラム法を使っているから」という理由の方が良いように思えます。

しかし実は正しい使い方なのです。というのもメートル法とは重さのグラム法もふくめた国際的な計量単位だからです。

しかもメートル法はフランス革命後に同国で初めて制定されたものでした。もしかすればタランティーノにはこの知識があったのかもしれません。

ヴィンセントの会話の中でパリのマクドナルドを選んだのもそのためではないでしょうか。

ちなみに日本はフランスと同じメートル法の国ですが、マックには昔からなぜかいつもクォーターパウンダーが置いてあります。

ブレットの悲喜劇の前フリ

大きな写真「パルプ・フィクション」トラボルタとジャクソン …Pulp Fiction

ハンバーガーの話は続くブレットのアパートのシーンにも引き継がれます

「チーズ・ロワイヤル」の要因がメートル法にあると見抜いたブレットはジュールスを大いに感心させました。

しかし、ジュールスはすぐに彼を脅し始めます。

ジュールス「What country you from!.(お前はどこの国から来たんだ)」

ブレット「What? (何)」

ジュールス「”What” ain’t no country I know! Do they speak English in “What”?

(お前はどこの国の出身だ。ホワットなんて国、俺は知らないぞ。ホワットって国の連中は英語をしゃべるのか)」

引用:パルプ・フィクション/配給会社:ミラマックス

ブレットは友達が目の前で殺されたばかりなので気が動転して何を聞かれても「ホワット」と答えるしかありませんでした。

そこでジュールスはブレットを外国人扱いし「どこの国だ」と聞きました。

それでも「ホワット」が返ってきたので「ホワット」という国を持ち出して彼をからかったという訳です。

ここはマシンガントークゆえに映画の日本語訳では省かれていました。

またハンバーガーの話でブレットを持ち上げたことは、次に彼をバカにする展開をよりおもしろくする効果があったといえるでしょう。

ちなみにブレットはその後も「ホワット」を繰り返したことで肩を撃ち抜かれました。

映画革命を起こしたハンバーガー・トーク

Hamburgers (Favorite Foods)

ハンバーガーの話には意味はあっても物語上の必然性はありません。しかしそれゆえに画期的な試みでした。

映画のセリフとは大抵ほぼすべてが1つのストーリー構造の中に収れんされてゆくものです。

しかしそのために人々が交わすリアルな日常会話が抜け落ちていたのです。

『パルプ・フィクション』のハンバーガー・トークは多くの人にそれを気づかせたといえるでしょう。

そしてそれは退屈な話ではありません。その多くはタランティーノ流のブラック・ユーモアが効いた想像力豊かなものです。

『パルプ・フィクション』は数多くの映画が詰め込まれているような印象を与えます。

それはエピソードの数が多いからというだけの理由ではなく、多くのユニークな会話がもたらす効果だったともいえるでしょう。

1つ1つの会話は1本の映画のように感じさせます。

実際ミアが話す「Fox Force Five」のエピソードは『キル・ビル』2部作の構想につながりました。

ハンバーガー・トークは庶民のリアルな声を拾うことと映画の幅を広げたという意味で世界の映画界を大きく変えたといえるでしょう。

言葉遊びの文芸性

【数量限定生産】パルプ・フィクション ブルーレイ版スチールブック仕様(2枚組) [Blu-ray]

ギャングのボス・マーセルスは、ある男を妻の足をマッサージしたという理由だけで4階の窓から放り投げた。

この噂について、ヴィンセントはジュールスにそれが相応の報いだという考えを示します。

彼にいわせれば、感情が入ればマッサージでも女性の最も神聖な場所(作中のジュールスの比ゆ表現)をなめるようなものだそうです。

しかし、それにジュールスはこう反論します。

ジュールス「・・・ain’t the same ballpark, ain’t the same league, ain’t even the same fuckin’ sport.」

(それは同じ野球場でもなければ同じリーグでもない。同じスポーツですらない)

引用:パルプ・フィクション/配給会社:ミラマックス

ジュールスはこう言って、マッサージとなめることの違いを野球にたとえて強調しました。これも映画の日本語訳には入っていませんでした。

セックスを野球にたとえたのは同じ球遊びだからでしょうか。

野球場からリーグ、スポーツとカテゴリーがどんどん広がることで、この2つの違いが面白おかしく伝わってきます。

タランティーノのセリフの醍醐味の1つはこういう小説のような言葉遊びの文芸性にあります。セリフの多くはとてもよく考えられているのです。

可笑しな2つのジョーク

パルプ·フィクション - ダンス ファインアート プリント (91.44 x 60.96 cm)

映画には数多くの可笑しなジョークがあります。2点見てゆきましょう。

ミアのトマト・ジョーク

おそらく日本ではこのミアがヴィンセントに話したトマトのジョークが一番おもしろかったという人が多いのではないでしょうか。

3人家族のトマトが歩いていて子どものトマトが遅れたのでパパが踏み潰してこう言います。

「catch up!(遅れるな)」

引用:パルプ・フィクション/配給会社:ミラマックス

Catch upはketchup(ケチャップ)に掛けられています。トマトは潰れるとケチャップ状になるので繋がるという訳です。

これ自体はくだらないジョークです。ミアもそれが分かっていたので一度ヴィンセントに話すのをためらっています。

このジョークが受けるのは話したタイミングが良かったからでしょう。

彼らは死に物狂いである危機を乗り越えます。そこでミアが最後にこのジョークを出したので緊張を和らげる効果を持ちました。

多くの人がミアのジョークを気に入ったのはその適格なタイミングによるものだったのではないでしょうか。

人格があるブタのジョーク

直筆サイン入り写真 パルプ・フィクション グッズ ジュールス役 サミュエル・L・ジャクソン/映画 ブロマイド オートグラフ/フレーム別

最後のシーンのレストランでジュールスがヴィンセントに話すブタのジョークがよく分からなかったという人は多いでしょう。

ジュールスはブタが自分の糞を食べる汚れた生き物なので豚肉を食べない主義を貫いています。

それにヴィンセントは犬のようにパーソナリティ・人格があるブタはどうなのかと問いました。

そこでジュールスは、あの糞ブタについて話すしかないと前置きしてこう続けます。

「I mean he’d have to be ten times more charmin’ than that Arnold on Green Acres, you know what I’m sayin’?」

(<人格があるブタってのは>『グリーン・エーカーズ』のアーノルドより10倍以上魅力的じゃなきゃいけない。言ってること分かるかい?)

引用:パルプ・フィクション/配給会社:ミラマックス

『グリーン・エーカーズ』とは昔アメリカで人気だったTVコメディです。

その番組では子どものいない夫婦がアーノルドという名のブタを息子のように可愛がっています

ドラマではアーノルドを学校に行かせるなど人間のように扱って笑いを取っていました。

このシーンでジュールスはそんなアーノルドくらいじゃまだ人格者ではないとからかい、ヴィンセントはそれに笑ったのです。

エゼキエル書の説教シーン

直輸入、大きな写真「パルプ・フィクション」クエンティン・タランティーノ監督

ジュールスが殺しの前にエゼキエル書の文言を高々と読み上げるシーンは印象的です。2つの視点から見てゆきましょう。

『Karate Kiba(ボディガード牙)』の序文の引用

エゼキエル書の文言は映画用のフェイクだとはよく知られています。しかしそれはタランティーノのオリジナルではありません。

はっきりいってそれは千葉真一主演の映画『ボディガード牙』のパクリなのです。

この映画がアメリカで『Karate Kiba』として公開されたとき配給会社は独自の序文をつけ加えました。

それがこちらのウィキペディアで見れます。

ご覧の通りエゼキエル書の文言はここからほぼ完全コピペ状態です。タランティーノ・ファンにはちょっとショックな事実かもしれません。

ちなみに殺しの前に前口上をいう演出も日本の時代劇から影響を受けているようです。

ジュールスが強盗をリンゴと呼んだ理由

★直筆サイン◆パルプフィクション◆PULP FICTION (1996) ★ティム ロス as パンプキン ★Tim Roth as Pumpkin ★アマンダ プラマー as ハニー バニー ★Amanda Plummer as Honey Bunny ★豪華2名♪

ジュールスが強盗パンプキンにエゼキエル書について解説しているとき少し引っかかることがあります。

それはジュールスがパンプキンを「リンゴ」と呼び始めることです。これには何でなんだと思った人もいるでしょう。

よく彼がビートルズのリンゴ・スターに似ているからだといわれていますが、それは誤解です。

ただ、リンゴが英国出身のビートルズから来ているのは正しいです。

アメリカでは英国なまりの話し方をする人を総称して「リンゴ」と呼ぶからかいの習慣があるそうです。

またビートルズの4人の中からリンゴが選ばれたのにも訳があります。

リンゴという響きが珍しいことと彼がグループの中で道化役だったからだといわれています。

このシーンでのジュールスもまた英国なまりの強盗をからかい半分で「リンゴ」と呼んだのでしょう。

ちなみに強盗役のティム・ロスは本当に英国出身の俳優です。

ヴィンセントを生き返らせた画期的な構成

大きな写真「パルプ・フィクション」ユマ・サーマン、ジョン・トラボルタ、ポスター調

『パルプ・フィクション』は最後にヴィンセントが生き返るなどシュールな仕上がりになっています。その奇妙な構成法を掘り下げましょう。

フラグメンツ構造

ヴィンセントが生き返ったことを理解するにはまずフラグメント構造を知る必要があります。

『パルプ・フィクション』という題は主に1970年代のアメリカの低俗なB級小説の総称から来ています。

タランティーノはそういう小説の寄せ集めを作ろうとしたのです。

それによってバラバラなエピソードが時系列も無視して散りばめられることになりました。しかしそれは同時に1つの映画にもなっています

映画を部分的に解体して非時系列的に再構成したものはフラグメンツ構造とも呼ばれます。

『パルプ・フィクション』以降そういうフラグメンツ映画は数多く作られましたが、この映画ほど見事なものはないでしょう。

最大の長所は最初と最後のシーンを結びつけて統一感を出していること。またジュールスと強盗カップルの視点が最後にうまく融合されること。

そういった点でこの映画はただの意味不明な話にはなっていないといえます。

甦るヴィンセント

パルプ・フィクション [DVD]

ヴィンセントはブッチに殺されますが、最後のエピソードに再登場します。

それも非時系列構成だからであり、最後のシーンは殺害より時間的に先に位置づけられます。

なのでヴィンセントが甦ったわけではありません。ネット上には生きているのではという都市伝説もあるようです。

しかしヴィンセントの殺害には物語上の必然性があります。彼にはトイレでマンガを読む習慣があります。

時間的に先に起こったレストランでの強盗シーンでは、そのおかげで彼は強盗に脅されずジュールスの援護に回ることができました。

しかしブッチの部屋ではそのせいで彼が家に戻ったのに気づけず殺されてしまいました。

物語上でのこのような因果関係もまた、一見バラバラなこの映画に統一感を与えているといえるでしょう。