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ホラー映画にはしばしば音で観る者を驚かせる演出があります。
しかし思いがけないところで突然大きな音がしたら、誰でも驚くに決まっていますね。
そんなあざとい演出に辟易している方も多いのではないでしょうか。
小林正樹監督が小泉八雲の小説をオムニバス形式で映画化した『怪談』には、そのような虚仮威(こけおど)しはありません。
50年以上前の製作ですからもちろんCGなど無く、特殊効果は素朴なものだけ。
それでも十分な怖さを感じることができるのは何故なのか?その秘密を考察してみましょう。
音楽音響の怪
これは音楽なのか?
本作の薄気味悪さに最も貢献しているのは、音楽・音響かもしれません。それほど本作の音響設計は常軌を逸しています。
まず武満徹の音楽ですが、これはそもそも「音楽」といえるのでしょうか?
何の楽器でどう出しているのかもよく分からない、奇妙な音の数々。
一般的に音楽は、メロディ・リズム・ハーモニーの3要素で構成されるものを指します。
最初のエピソード「黒髪」で聞こえてくる音には、そのどれもが欠けているのですから、これは一般的な意味での音楽ではないのかもしれません。
しかし明らかに自然の音ではなく、ただの効果音でもなく、何らかの意図を感じさせるものがあります。
ところが何者のどんな意図を示すのか具体的に分からない…人間的な喜怒哀楽を超えた音の響きが不気味さを際だたせているのです。
武満徹のクレジットが、そもそも「音楽」ではなく「音楽音響」となっている意味に注目すべきでしょう。
音の引き算
さらに気味が悪いのは、本作は足音や衣擦れなど人間が生きて動いていれば当然聞こえてくる自然な音が多くの部分で排除されていることです。
普通の映画は、リアリティ重視でそういうものを当たり前に入れた上で音楽を加えていく足し算の発想です。
しかし本作の音響設計は徹底した引き算の発想で作られています。
多くの場面において、「あるべき音が無い」のです。
不自然な音空間
その結果生まれてくるのは、極めて不自然な音空間です。
皆さんは無響室というものに入ったことがありますか?特殊な素材と設計で音の反響をほとんど無くした部屋のことです。
これがなかなか異様な雰囲気で、音の無い空間が「実体のある何か」で満たされているような奇妙な感覚を覚えます。
敏感な人なら、すぐに気分が悪くなって出たがるほどです。
何か変な超音波でも出しているならともかく、反響音が無いことが何故これほど不気味なのか不思議です。
それほど我々は「あって当たり前の音」を無意識のうちに感知しているのでしょう。
この映画の音響設計は無響室に近い不自然さを感じさせ、しかもそこに普段は聞くことがない「音楽ならざる音楽」が加わっています。
その聴覚の混乱が、言い知れぬ不安を掻き立てるのです。
このような音楽音響による恐怖演出は、最初の「黒髪」と最後の「茶碗の話」において顕著に作用しています。