「黒髪」には印象的なロケ撮影もありますが、この2本は「耳無芳一の話」の海辺のシーンを除けば、全編が露骨なまでのセット撮影です。
背景が一目瞭然の書き割りで、映画というより舞台劇を見ているような印象を覚えます。
ただし書き割りの背景に描かれているものは、現実の代用となる風景ではありません。
特に「雪女」では、実際の風景とはまるで違う絵が描かれているのです。
黒澤明が『夢』の「鴉」というエピソードで、VFXを駆使して背景をゴッホの絵そっくりにしましたが、その先取りといえるでしょう。
何者かに見つめられている
背景の絵柄は日本の洋画の流れを組むもので、文字通り絵画的な美しさがあります。しかし調和に満ちた美とはかけ離れていて、全てが不穏です。
特に「雪女」の最初の方には、何者かの目を思わせるような絵柄が出てきます。
日本の有名な洋画家 靉光(あいみつ)の代表作『眼のある風景』を想起させるものですね。
色彩やうねうねとした線から見ても、実際にあの絵からインスピレーションを受けたのかもしれません。
このような特殊な背景は音楽音響と同様、強い不自然さを感じさせるもので、『カリガリ博士』など戦前のドイツ表現主義からの影響も感じられます。
このような空間造形からは、日常慣れ親しんだ空間とは違う不自然さに加え、「何者かに見つめられている」という不気味さが感じられるのです。
宙に浮かぶ視点
この「何者かに見つめられている」という不気味さをさらに強化するのが、カメラのポジションです。
本作を注意深く観れば、高さ2〜3mからの俯瞰撮影が非常に多いことに気づくでしょう。
この2〜3mという高さがなかなか絶妙です。何も無い場所に浮かんで、そんな高さから人の行動を見ることなどまずありません。
これがもっと高くなると神の視点のようになってきますが、それよりはずっと日常に近いものの、明らかに日常生活には存在しない、異様な視点。
人を見下ろす感じなので、何か意思のある存在が文字通り上から目線で人を見つめている感じがします。
しかもその正体や意思がよく分からないことが、怖さを醸しだします。
このような演出は、霊的なものが登場するホラー映画でしばしば用いられている手法なので、次にその手の映画をご覧になる時は注目してみてください。
音による瞬間的な驚かしがなく、何となく違和感を与えられ続ける。それだけで人は恐怖を感じるのです。
逆に「誰か」の視点ではなく手持ちカメラによる「自分」の視点だけで構成した『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』が話題になりました。
あれはあれで、本作とは全く別の非日常的な視点を提示した作品といえるでしょう。
意味が分からぬ怖さ
一体何が起きているのか?
4つのエピソードのうち「黒髪」「雪女」「耳無芳一の話」は話の論理が比較的筋道立っています。
最後まで見れば、なぜそういうことが起きるのか、霊的な存在がどんな意図を持っていたかは大体理解できます。
ところが最後の「茶碗の話」だけはその例から外れるのです。
一体何が起きているのか、どうしてそうなるのか、霊的な存在の意図は何なのかが、皆目分かりません。
そのため物語としての完成度はともかく、無条件に怖いという観点からいえばこのエピソードがベストでしょう。
しかも本作は「黒髪」と同様、音の引き算演出がフル活用されていて感覚と知性の両面から神経に揺さぶりをかけてきます。