注目キーワード
  1. 映画
  2. シネマ
  3. 洋画
  4. 邦画

【おもひでぽろぽろ】「いい子」と引き換えに犠牲にしたものを解説!父にぶたれたのはなぜ?ラストで子供が見せる表情の意味とは

出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B00S614NB2/cinema-notes-22

1991年公開の『おもひでポロポロ』は、私はワタシと旅に出るをテーマにしたジブリ作品です。

難解なストーリーとも言われている本作ですが、タエ子が「いい子」と引き換えにしたものにフォーカスを当てて考察していきます。

なぜタエ子は父親にぶたれたのか、ラストで見せる子供たちの表情は何を意味するのか、奥深い謎に迫っていきましょう。

「いい子」と引き換えに犠牲にしたもの

おもひでぽろぽろ [DVD]

タエ子は小学5年生の時も27歳の今も「いい子」を演じています。

そんな彼女は「いい子」と引き換えに失ったものがありました。

犠牲にしたのは「自由」

本作は「いい子」からの卒業ともいえる物語です。

私子供の頃からそんなんだったの

ただいい子ぶっていただけ

引用:おもひでぽろぽろ/配給会社:東宝

タエ子は自分がいい子ぶっていたことを明かしています。

「いい子」という存在でいようとするのは、誰しもが経験することではないでしょうか。

タエ子は無意識のうちに「いい子」である自分を作り上げ、その枠に閉じ込められてしまったのです。

彼女は「いい子」と引き換えに自由を失っていたといえるでしょう。

なんとなく務めた会社、意味もなく流れていく日常、27歳のタエ子はそんな日常に息苦しさを感じていたのかもしれません。

本当にやりたいことを見失っていた

おもひでぽろぽろ (徳間アニメ絵本)

小学5年生の女子達は、男子よりも大人で「いい子」に描かれています。

実際、男子はいつまでも子供だといわれています。

女子は「いい子」に捕らわれやすいものなのかもしれません。

タエ子もそんな女子のひとりです。

あのころから何も変わっていないのかもしれない

引用:おもひでぽろぽろ/配給会社:東宝

本当は男子のようにはしゃぎたかったのかもしれません。しかし女子は「いい子」であるべきだという気持ちがブレーキをかけます。

タエ子には自分がやりたいことを我慢するという癖がついていたのです。

ついには本当にやりたいことはなにか、見失ってしまったのでしょう。

世間からみた「いい子」は、時につまらない人生なのかもしれません。

トシオは「いい子」じゃなかった

ジブリ レイアウト展 限定 ポストカード おもひでぽろぽろ

タエ子が山形の田舎で同じ時間を過ごしたトシオは「いい子」とは対照的な存在です。

トシオの存在は対照的

彼は、会社を辞めて自分のやりたいことをやっています。

大変大変っていうけど、一生懸命やってる仕事なら大変でない仕事なんてないでしょう?

引用:おもひでぽろぽろ/配給会社:東宝

トシオにとっては、大変なことも楽しむことが出来るのでしょう。

タエ子とは対照的に、トシオは自分の意志をもち自分なりの生き方をしています。

タエ子はそんなトシオの姿をみて、自分のいい子ぶった生き方を見直すきっかけになったはずです。

 「いい子」を捨てたタエ子

タエ子が「いい子」のままだったら、最後に電車を降りることはなかったでしょう。

これまで通りに大人しく電車に座っていたはずです。

しかし彼女は「いい子」の皮を破り捨てたことで、自由に飛び立つことが出来ました。

トシオのように気持ちに素直に生きてみようと決心したのです。

父にぶたれたのはなぜ

おもひでぽろぽろ―Only yesterday (ジブリ・ロマンアルバム)

劇中で子供時代のタエ子は父親にぶたれてしまいます。

一度だけタエ子をぶった父親の心境とはどのようなものだったのでしょう。

タエ子の父は昭和の父親

昭和を生きた人は、意外とすんなり受け入れることが出来るシーンではないでしょうか。

1966年、タエ子が小学5年生の頃は昭和の父親=厳格というイメージが強い時代でした。

子供にビンタをする親も少なくなかった時代です。

それでも劇中では、父親が末っ子のタエ子にビンタをした時、特別なことをしたという空気感が漂いました。

父親は前にも後にも一度だけタエ子を叩いたのでしょう。

現代では虐待と捉えられる行為ですが、昭和の時代は現代より家族の関係密度が高かったのです。

だからこそ父親はタエ子をぶつことが出来たのではないでしょうか。

裸足で出たことが原因という考え方

裸足で……。

引用:おもひでぽろぽろ/配給会社:東宝

父親はそれまでいくらタエ子がわがままを言っても無言でした。

おそらく父親は女性のわがままに慣れていたのかもしれません。

うちの子は皆わがままだよ

引用:おもひでぽろぽろ/配給会社:東宝

上記の祖母のセリフからもわかるように、岡島家の女性は皆わがままなのです。

タエ子がわがままを言っても「またか……」という心境だったのでしょう。

しかし、タエ子は女の子なのに裸足で外へ駆け出しました。

厳格な父親は女の子としての行儀の悪さは許せなかったのではないでしょうか。

はしたないという感情に思わず手が出てしまったのです。

父親もきっとやってしまった、という気持ちだったのでしょう。

その後の場の空気の悪さが、父親の居心地の悪さを表現しています。

わがままが暴走し八つ当たりをしたから

おもひでぽろぽろ ポストカード

もうひとつの考え方はタエ子のわがままが暴走し止まらなくなっていたから、という理由です。

何度も意見を変え、タエ子自身収集のつかない状態になっています。

タエ子のわがままはやがて八つ当たりに変化しています。

そんな状況下で、ついに裸足で飛び出してきた娘に堪忍袋の緒が切れたのかも知れません。

客観的に観るとタエ子が可愛そう

そもそもタエ子が不機嫌になったのは、両親をひとりじめ出来ると思っていたお出かけに急に姉がついていくことになった為です。

昭和の時代は子供も多く、子供にとって両親をひとりじめ出来るのはとても貴重で幸せなことでした。

タエ子は両親に甘えたかったのでしょう。

両親がタエ子の不満をもっとくみ取ることが出来たら、タエ子の感情が暴走することもなかったのではないでしょうか。

あのときはひどく痛かった

引用:おもひでぽろぽろ/配給会社:東宝

27歳のタエ子のセリフですが、頬だけでなく心の痛みもプラスされているのです。

当時のタエ子は、父親のビンタになぜわかってくれないのかという理不尽さを感じたのではないでしょうか。

ラストで子供が見せる寂しそうな表情

おもひでぽろぽろ オリジナル・サウンド・トラック

劇中のラストシーンで、トシオとタエ子を見送る子供たちの表情は曇っています。

ハッピーエンドなのに、なぜ子供たちは複雑な表情だったのでしょう。

置き去りにされたから

本作のキャッチコピーは「私はワタシと旅に出る」です。

一緒に旅に出たのに、タエ子は最後に小学5年生のワタシを置き去りにしてしまいます。

これはタエ子が先に進む為に必要なことだったのです。

子供たちは幸せになっていくタエ子を祝福しながらも、思い出が心の奥深くにしまわれることに寂しさを感じていたのでしょう。

タエ子の自立を描いている

楽しいバイエル併用 おもひでぽろぽろピアノソロアルバム

子供から大人になるというのは、甘えを捨てることでもあります。

自分の意志で動き出したタエ子は、過去の甘い自分に別れを告げたのです。

人は学校から卒業する時に、未来への期待とこれまでの生活への別れの両方を経験します。

最後の子供たちは、これまでのタエ子の生活を象徴しているようです。

二度と戻らない自分の過去には、いつか忘れてしまうだろうという寂しさも含まれているものです。

タイトル「おもひでぽろぽろ」がラストを物語る

おもひでぽろぽろ ジグソーパズル 500ピース 女優への道 36×49㎝ ジブリ

ラストシーンでタエ子は、小学5年生の思い出である子供たちに一切視線を向けていません。

彼女は過去に捕らわれることもなく「過去から変わらない自分」を捨てたのでしょう。

タエ子の過去には後悔が沢山存在していました。

彼女はそんな後悔をずっと引きずっていたのです。

後悔=いい子であることだったのでしょう。

いい子であることをやめたタエ子は、過去から自由に羽ばたきます。

小学5年生の子供たちは消えていくことになります。

これから、ぽろぽろとタエ子の思い出は崩れて色褪せていくことでしょう。

子供から大人へ変わる切なさを味わえる映画

おもひでぽろぽろ ドラマ・アルバム

『おもひでぽろぽろ』は、子供のままの自分を捨て自立した大人になっていく話です。

本作は自立する時の明るい期待や、なんとも言えない寂しさを上手く表現した名作です。

子供時代に訪れた場所に昔の自分を連れて旅をしたくなる、そんな思いを抱かせる作品ではないでしょうか。