10歳であるルートが家で1人母親の帰りを待っている事を知った博士の慌てぶりは、まるで自分が子供に戻ったかのようでした。
自分の産まれなかった子供とルートを重ねて見ているのでしょう。
失った子供の分もルートには幸せになってほしいと願っているのです。
ルートにも父親がいない
また、博士はルートに父親がいない事を知り、自分が父親代わりのようになろうと思っていたのです。
勿論、博士と杏子の間にはそんな夫婦間のような愛情はありません。
博士にも特別な感情は勿論ありません。
しかし、義理の姉が嫉妬するほど博士と杏子、そしてルートは知らず識らずのうちに家族のようになっていったのです。
それは数字を通じて3人が出会った、言葉では表せないほどの深い深い絆であり愛情といえます。
3人は数字を通してかけがえのない絆を育んだのです。
時は流れずの意味
数学教師となったルートが、物語のラストで黒板に「時は流れず」と書きました。
これは時がどんなに経っても思い出は色褪せない、そして流れる時の中でも人間の絆は血の繋がりを超えて永遠なのだよといいたいのです。
博士は海岸で、完全数「28」の背番号を持つタイガースの江夏の服を着て、満面の笑みで笑っています。
「時は流れず」はどんなに時は流れても人の本質は変わらない、変わらないままその時の笑顔で笑っていると伝えたいのです。
大事なのは心で見る事
映画の中で、博士は心で見る事の重要性を杏子に説きました。
この“心で見る”という事はイマジナリー・ナンバーのiにも繋がってきます。
目に見えない心という存在がこの現実を、世界を支えているのです。
目に見えるものだけが全てではない、そして真実ではない、だからこそ博士は“数字”という無限の可能性を愛したのではないでしょうか。
数字は美しい
博士は最初から最後まで数字を愛し続けました。
杏子に靴のサイズを聞き、潔い数字だと誉めたり、ルートの事をルートと名付けたのも博士の最大限の誉め言葉なのです。
これは数字を通してでしか人と関われなかった博士の最高の成長物語であり、杏子とルートの成長の証の物語であるといえます。
そして、博士の義姉の成長を描いた記録映画とも呼べるでしょう。
義理の姉が門を開放したことで博士も義理の姉も、杏子も、ルートもそれぞれの思いやしがらみから解き放たれました。
そして、この映画が提示している“数字の美しさ”これが博士が愛したeiπ+1=0のオイラーの等式に全て詰め込まれています。
それはまるで数字の宝箱のようであり、博士が教えてくれた事は杏子やルートの中で生き続けるのです。