このあと子供たちにふりかかる理不尽さの理由を子供なりの解釈で理解していくという演出とストーリー展開になります。
それは観る者にも現実を受け入れ理解させるプロセスとなり、やるせない感情もシンクロさせていくのです。
大人社会の歪んだ「正義」
「アラバマ物語」の原題となった小説「To Kill a Mockingbird(マネシツグミを殺すこと)」から読み取れるメッセージは何だと思いましたか?
それは、子供たちが直面する心の葛藤を通し人間社会の永遠のテーマ「正義」とは何か?を問いかけていることです。
その葛藤のきっかけとなったのが、父アティカスが狂犬病の犬を銃殺し子供達を驚かせてしまうシーンにあります。
「なぜ!?マネシツグミ(害をおよぼさないもの)は殺してはいけないって言ったのに、鳥はダメでどうして犬は殺していいの!?」
引用:アラバマ物語/配給会社:ユニバーサル映画
これは「命」に関わる疑問との葛藤といえます。「子供に危害が及ぶ存在=狂犬病=射殺」という大人の論理です。
「アイデンティティ」の崩壊
裁判はトムが有罪になり搬送中に逃走したという理由で銃殺され、「正義」が藪に葬られるという最悪の展開で非常に後味の悪さが残りました。
さらに黒人の弁護をしたことに不満をもっていた白人女性の父親が、ジェムを襲撃するという暴挙でスカウトのアイデンティティに変化が起こります。
「To Kill a Mockingbird」の意味を知った瞬間
謎の男ブーがジェムを救い、襲撃犯は刃物で刺され死亡して発見されたことで、謎の男ブーが刺したのではないか?と、推理できます。
- 保安官が襲撃犯が死亡していたことを不慮の死亡事故で終決させようとします。それはなぜなのでしょうか?
- アティカスが死亡の真相を明らかにしようと動きだしたときに、スカウトから出た言葉のもつ意味はなんなのでしょうか?
「保安官の言ったことは正しいわ!だって、マネシツグミを撃つのはいけないのでしょう?」
引用:アラバマ物語/配給会社:ユニバーサル映画
①は裁判を通しトムが無実だということを認めながらも、有罪を黙認せざるをえなかった保安官の背徳心があったからでしょう。
②は保安官の判断がブーの身を守ることになると気がついてついた嘘です。
つまり、この時スカウトは子供なりに「To Kill a Mockingbird」の意味を理解したとわかります。
現代も問題提起される「アメリカの正義」とこの作品のメッセージ
今も底泥のごとく残る「差別」への考え方を「弁護士(父親)の視点」「黒人、弱者の視点」「子供の視点」という形で表現しているのが本作品です。
“撃ってはいけない「マネシツグミ」”とは?
“撃ってはいけない「マネシツグミ」”とは、なんの害も及ぼさない黒人青年のトムや精神疾患のあるブーを指しているといえます。
トムは黒人というだけで撃たれてしまい、子供たちをただ見守ってきたブーを理不尽で撃たれないよう虚偽で守ったにすぎません。
つまり、アメリカの「正義」とは曖昧でこの倫理が壊れたとき「差別」による事件を引き起こす要因になっていると教えているのです。
アメリカだけではない身近にある「差別」
考えてもみれば、私たちの身のまわりにも大なり小なりの「差別」が存在していて、アメリカだけの問題ではありません。
「性同一性障害」「同性愛者」「身体障害」のみならず、「女性蔑視」などさまざまな差別問題が現代社会には存在するのです。
それらに置き換えてこの作品を観ることで「差別」に対する意識改革ができることが評価につながっているともいえます。
まとめ
この映画が現代もくり返し観られ称賛される理由は、人類社会が抱える人種差別の問題とその差別の根本原因を浮き彫りしているからです。
それは「正義」という大義名分から命を軽く扱う問題点もはらみ、「正義」とは立場によって善にも悪にもなりうるという危うさでもあります。
つまり「正義・平和・平等」とは、社会環境や人の立場で解釈が変わることを子供の心の成長を通し、問題提起し自問自答させる作品だからです。