『アーロと少年』は、監督であるピーター・ソーンの母親が影響を与えているようです。
ピーター・ソーン監督の母親は韓国人の移住者で、映画に行っても英語が理解出来なかったといわれています。
理解出来ない英語では、映画も楽しめません。
更にピーター・ソーン監督は韓国語を話すことが出来ないので、母親とのコミュニケーションにはジェスチャーを使用していたのです。
劇中でアーロとスポットがコミュニケーションをとる様は、監督と母親からインスピレーションを受けたものでしょう。
言葉が通じないもの同士でも、強い絆が結ばれていました。
通じないからこそ、相手を知ろうとして強く心を向けるのかもしれません。
家族の在り様を提示していた
劇中では「家族」とは何かを伝えるシーンが印象的です。
スポットの家族は血のつながっていない家族
終盤にスポットの家族が登場しますが、血のつながった家族ではありません。
スポットだけ髪の色が違いますし、顔も似ていないのです。
そして登場した姉とスポットは同じ年に観えます。
ここは白髪の4人家族が、スポットを家族として迎えたシーンと解釈出来るのではないでしょうか。
スポットは3本の枝を立てていた
劇中でアーロが家族を説明した時、スポットは2本の長い枝と1本の短い枝を立てていました。
これが本当のスポットの家族です。
母親と父親はおそらく死んだのでしょう。
白髪の4人家族に同族の匂いを感じ取りますが、スポットはアーロの元へ戻ってしまいました。
自分の家族ではないと匂いで感じたのです。
しかしアーロが血のつながりがなくても家族だと示したことで、スポットは人間として生きていきます。
家族というものがどんなものなのか、深く考えさせるシーンです。
恐怖の克服と家族を描いた作品
狂気ともいわれている数々のシーンは、恐怖を共感する為のものでした。
アーロは恐怖を感じ、克服することで立派な恐竜の仲間に加わることが出来たのです。
アーロやスポットの冒険を通して人間とはどのような存在なのか、家族であることの条件とは何かを考えさせられます。
『アーロと少年』は時代を経て何度も観返したくなる映画ではないでしょうか。