すると、自分のアイデンティティとして残るものは何なのかと考えさせられるのです。
ビリーとコリンの違いを見ていくと、わかるところが出てくるのではないでしょうか。
ビリーとコリンの違い
警察学校の同期でどちらも頭がよく、同じ女性に興味を惹かれる青年です。
ただ圧倒的に違っているのは、ビリーが信用に足る人物として描かれていて、コリンはずる賢く騙す人間だということ。
同じような環境に生まれながら違う二人を見ていると、自分がどうしたいのかがわかっている人とそうでない人の違いが浮き彫りになってきます。
自分は何者で仲間を信じているか、女を愛せるのか、二人の対比は鮮やかに描かれているのです。
警官になりたいか警官にみられたいのか
警察学校を終えて配属が決まるときにビリーは圧迫面接を受け、何者かとアイデンティティを厳しく問われます。
その中で次のようなフレーズがあります。
警官になりたいのか、警官にみられたいのか?
引用:ディパーテッド/配給会社:ワーナー・ブラザース
警察官をアイデンティティーとして生きていきたいのか、それとも警官になって出世して権力がほしいのかを問われているのです。
一方でコリンの面接はすんなり終わり、眺望のよいマンションを契約し自分の得たステータスに浸ります。
コリンは後者なのです。
ただ悲しいことに彼は幼い頃からコステロに教育費を出してもらって育ってきた負い目もあります。
子供の頃に買収されるという育ち方をしたからしょうがないのか。
それとも本人の生まれ持った素養とするのかは意見がわかれるところだといえます。
生き延びる方法
終盤の麻薬の取引の現場で大銃撃戦になり、あっけなくほとんどの主要登場人物が死んでいきます。
裏切りが成功し邪魔な人間の口を封じて見事に生き残ったコリンですが、最後にディグナム巡査部長に暗殺されてしまうのです。
うまく立ち回ったもののコリンは全てを失います。
親代わりだったコステロも自らの手で射殺し、自分の子供をお腹に宿している彼女にも愛想をつかされ、全てがなくなりました。
裏切りと殺しの果てに
男性は誰かを幸せにするために頑張れるとはいいますが、コリンは何のために頑張っていたのでしょうか?
最後まで彼はコステロのことも彼女のことも誰のことも信用していなかったし、真に愛してはいなかったのではないでしょうか。
そうして自分のことを必要として愛してくれる人も全ていなくなったとき、何を思ったのでしょう。
出世欲を除いて後に残るものは空虚感でしかなく、もうこれ以上生きたいとは思えなくなったのではないでしょうか。
そして、ただ神に懺悔する気持ちが残ったのかもしれません。
妊娠した子供は誰の子か
コリンの子供のように描かれていましたが、ビリーの子供の可能性も残ります。
女医の彼女の、男の子は女親に似るものだという示唆的な発言から、父親はもしかしたらビリーかもしれないと思わされます。
と同時に『どちらの子供でも変わらない、わたしの子供だ』という彼女の母親としての意思も感じられます。
男はあっけなく死んでいき、女は命を繋いでいくという対比も描かれているように思われます。
冒頭のビリーの母の葬儀のところで、コステロからのメッセージと花が手向けられていました。