https://www.amazon.co.jp/dp//B0021ZMHOO/?tag=cinema-notes-22
“Nuovo Cinema Paradiso”は、シチリア出身の巨匠ジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品で、世界で称賛を浴びた名作のひとつです。
特に音楽の素晴らしさが好評を得ており、古き好き時代が描かれていますが、本当にその時代がよかったのでしょうか。
失明した主人公が、心の眼で見たものを、どう伝えたかったのか、一緒に考えていきましょう。
映画の検閲から始まった
舞台は、ポルノシーンの許されない時代で、教会から司祭が映画の検閲に行っていました。
この検閲がなければ、トトの映画人生は始まらなかったとはいえないでしょうか。
なぜなら、トトは司祭と一緒に映画館に行ったのがきっかけで、映画館パラダイスに入り浸るようになるからです。
キスシーンやラブシーンの部分のフィルムは切り取られ捨てられていき、これが伏線となり、最後のシーンに結びつきます。
つまり、検閲がトトの人生にもたらした意味は大きいのです。
映画が生活の中心に
映画館パラダイスは、毎日のように多くの人で賑わい、皆が映画に魅了されています。
この風景は、古き良き日本でも見られた光景で、テレビが一家に一台になる前の隣の家にプロレスを観に行っていたような熱狂を感じます。
物が十分にない時代は、人と人が物を共有し、夢を共有し、熱狂を共有する時代です。
そして人と人との繋がりも密で、幸せな時代とも言えます。
一方でアルフレードは、「自分のようになるな」とトトに言い聞かせたのは、なぜなのでしょうか。
映画が好きで娯楽として存分に楽しめたものの、そこには精神の自由がなかったのはないかと推察されます。
規制された、与えられたものを受け取るだけの人生では、何かが欠落していると、アルフレードは感じていたからこその言葉なのかもしれません。
アルフレードとトトの友情
父親のいないトト
トトの父親は戦争から戻らず、幼いうちから母1人で育てられます。そのため、ひどく貧しく食べ物にも事欠くほどです。
だから、少しでも家の手伝いをしてほしい母は、映画に現を抜かすトトを厳しく叱ります。
2人の子供を女でひとつで育てるのは、並大抵のことではありませんから、仕方のないことなのでしょう。
取り立ててトトも周囲の大人も、彼女を咎めません。そういう大変な時代でもあったのです。
だから、トトが映写技師の仕事を得て、家計を助けてくれるようになったときは、母親も反対せず、お弁当作るなどして協力的になります。
ゲンキンな人だなという印象もありますが、それが貧しい時代の現実です。