出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B005NFMDB6/?tag=cinema-notes-22
映画の概念を変えたともいえるほど色鮮やかな世界で世界中を魅了した「アバター」。
空前の3D映画ブームを引き起こし、その影響で3Dテレビも多数登場させるなどしたこの映画は3D技術をはじめとする最新の撮影技術や規模の大きさばかりが注目されがちでした。
ですが、そのストーリーには現代人にさまざまなことを考えさせるところがありました。
ここではアバターの世界の核をなすナヴィたちの描かれ方や主人公・ジェイクの生き方、ナヴィと地球人の戦いに隠された意味を解説します。
ナヴィという存在
劇中で描かれるパンドラの先住民、ナヴィの生きる世界は私たちの文明とは対極にあるような描かれ方をしています。
ナヴィの姿や生態も私たちとは違うものですが、パンドラで最も進んだ知性を持ち地球においての人間的な存在のように位置付けられているようです。
しかし、彼ら自身の考えはそうではないようです。
フィーラーを持ち他者とつながるナヴィ
人間と似たような容姿を持ちながらも全く人間とは異なる違うナヴィの人々。
彼らは地球人たちの提案を受け入れることなく暮らしていきますが、これは地球人とナヴィの概念が違いすぎるので当然ことなのです。
どんな条件を出しても首を横に振るナヴィに地球人が業を煮やしますが、ナヴィの求めるもの、守りたいものは地球人には理解できません。
フィーラーを通して自分以外の存在とつながることができ、またその意識を共有することができるナヴィの姿から何か思い浮かぶことはないでしょうか。
現代人の姿とは
これは私たち現在の地球人が失ってしまったもののように思えます。人間はいうまでもなく地球上の動物の一種にすぎません。
人間は知性を持ち、古からいろいろな文明が発達しては滅び、現在のような文明社会を作り上げてきました。
そこには多くの自然や動物たちを犠牲にして生きてきた、という事実があります。
山を削り、森を破壊して宅地造成すれば木々が失われるのはもちろんのこと、そこに住んでいた動物たちや虫たちは行き場を失います。
海を埋め立てれば魚たちが行き場を無くし、珊瑚は死に絶えます。
そうしてたくさんの犠牲を強いながら、私たちは私たちにのみ快適な生活を手に入れました。
地球上の動物の一種にしか過ぎないのに自分たちはこの地球上で一番価値のあるものが自分たちであるとどこかで勘違いしてしまったのです。
自分たちが快適に生きていくためにはほかのものを犠牲にしてもいいという認識がいつの時代から人間のDNAには組み込まれてしまったのかもしれません。
人間が失った感覚
動物たちや地震や台風を事前に感じ取る力を持っているといいます。