自然とともに暮らしていれば当然のように持っているはずの感覚を私たちは失いました。
ですが自然とつながっている動物たちと同じようにナヴィたちはフィーラーでパンドラと、仲間たちと、そして生物たちとつながっているのです。
その世界ではナヴィもほかの生物たちも対等です。お互いがお互いを尊重して生きています。
ナヴィの存在は私たちの本来あるべき姿を象徴しているのではないでしょうか。
フィーラーを失った私たちはこの星の上で孤立し、いつか破滅に向かっていくのかもしれません。
ジェイクが体現するものとは
主人公ジェイクは海兵隊の任務の中で負傷し、下半身不随となり車椅子での生活を余儀なくされています。
ところがアバターを使っての任務ではアバターの肉体とはいえ自分の足で自由に歩けることに喜びを感じます。
パンドラの世界でアバターの肉体で活動するジェイクは自信を得て、ナヴィたちの信頼を勝ち得ます。これはグレイス以外のほかの地球人にはできなかったことでした。
トゥルークマクトとなったジェイク
ジェイクは信頼を勝ち得ただけではなく、ナヴィたちの伝説の勇者ともいえる「トゥルーク・マクト」として尊敬を集めることにもなります。
ジェイクは地球では不自由な体を抱え鬱屈としていましたが、パンドラでは誰も成し得なかったことを成し遂げたのです。
これは環境が変われば状況は簡単に一変してしまうこと、どんな人にもその人の能力を開花させる場があることを意味しています。
さまざまな苦しみを抱える人に向けてのそのメッセージ体現する存在、それがジェイクなのです。
ナヴィと地球人の戦いの意味は
パンドラに資源を求めた地球人は結局戦いを引き起こしてしまいます。
よくある「先住民vs侵略者」の図式のようにも見えますが、ナヴィと地球人との戦いには様々な意味が込められています。
侵略は許されるのか
侵略は許されるのか。その問いの答えは「否」しかないでしょう。
ではなぜ理性的なはずの人間が侵略などという愚かな行為を行うのでしょうか。
いつの時代の侵略は戦争のきっかけであり、戦争はたくさんの人たちの命を奪い、そしてたくさんの人を傷つけてきました。
人のみならず地球の生態系にまで影響を及ぼしていることも少なくありません。
この映画ではよくいえば王道。
悪くいえば使い古された表現ともいえる「先住民vs侵略者」であるナヴィと地球人の戦いが描かれていることで改めて戦争というものが起こる理由を考えさせられます。
「アバター」構想時の時代背景
2009年に公開されたこの映画は、構想に15年以上かけたといわれています。その間にはアメリカ同時多発手テロ、それ以降のイラク戦争などもありました。