キャルの兄であるアーロンの恋人であるアブラもまた、キャルと同じように“自分は父親から愛されていない”と感じていました。
その描写が意図するものとは何だったのでしょうか?
アブラとキャルは痛みを共有できた
キャルが父親からの愛情に飢えていたように、アブラもまた実の父親からの愛情不足の事で悩んでいました。
それをアブラがキャルに打ち明けた事で二人の距離は一気に縮まったのです。
最終的にアブラが選んだのがアーロンでなくキャルであったように、アブラはキャルの痛みを自分の事の様に置き換えていたのでしょう。
親の愛情を受けない事ほど辛い事はないと、アブラは最初から全部わかっていたのです。
そしてキャルにはその痛みを乗り越えて、強く、そして幸せになってほしいと願っていたといえます。
アダムとキャルに足りないのは本音の会話
何故、父親のアダムがアーロンばかりに愛情を傾けるのか、それは出て行った母親が大きく関係しています。
母親に似ている要素を多く持つキャルの存在を、アダムは見ない事にしたかったのです。
この親子に足りないのは本音の会話・本音のぶつかり合いだといえます。
ただ一言アダムがキャルに「愛している」その事を伝えてあげていたら、アーロンが精神的ダメージを受けて悲劇的な事が起こることもなかったでしょう。
そしてアダム自身がアーロンがいなくなった事で倒れてしまう事もなかったでしょう。
アダムは自分で自分の首をしめたのです。
そしてラストでアダムの本音が聞けたように、その橋渡しとなってあげたのがアブラという一人の女性の存在なのです。
カインとアベルはキャルとアーロン
旧約聖書の「創世記」に出てくるカインとアベルはまさしくキャルとアーロンに似ているといえます。
本来、助け合うはずの“兄弟”という存在がお互いに嫉妬や憎しみを持つようになってしまった。
カインとアベルの話が登場する事により、ここで初めて「エデンの東」というタイトルの意味が生きてくるのです。
一人の青年が真実の愛に出会うまでの話
この「エデンの東」という映画はキャルという一人の青年が愛に飢え愛を渇望し、自分なりの愛情を得るまでのお話です。
虐待という悲しいニュースがテレビで頻繁に流れる昨今、「エデンの東」はもっと多くの人に観られていい映画だといえます。
子供は親を選べません。
そして、子供にとって父親や母親の存在はいつの時代も変わらず絶対的な存在なのです。
名作と呼ばれ、ジェームズディーンの出世作である映画「エデンの東」。