クールに見えるボンドですが、やはり彼の中に揺れる思いが生まれたことが推察できるでしょう。
殺しと共に色づくボンドの世界
ここまでで、冒頭シーンでは作品に横たわるボンドの殺し=スパイの道への葛藤の種があることがわかってきました。
しかし、実はモノクロの演出そのものにもボンドのこの先の運命を示唆するはたらきがあるといえます。
色のなかったボンドの世界が、殺人という罪を堺に鮮やかに彩られていく。このドラマチックな転換は、ボンドの葛藤を思えば皮肉な演出です。
何者でもないただのジェームズ・ボンドという男が、007という映画史に残るヒーローへと変貌していくことが表されています。
ヴェスパー・リンドの役割とは
本作『カジノ・ロワイヤル』の中で、最も重要な意味を持つキャラクターといえば、ヒロインのヴェスパーでしょう。
彼女は作品の主題に対し、どのような役割を担っていたのでしょうか。
作品を象徴するヒロイン、ボンド・ガール
『007』シリーズでは、1作品ごとに異なるメインヒロイン”ボンド・ガール”が登場するのは周知の通り。
本作ではエヴァ・グリーンが演じたヴェスパー・リンドは、ボンドと愛し合いながらも悲劇的な最後を迎える愛と裏切りのボンド・ガールです。
彼女との関係の中で、ボンドの心情は揺れ動きます。彼女の存在は、ボンドの人生に大きな影響を及ぼしていくことになるのです。
ヴェスパーの装いの変化の裏にある、ボンドの心情の動き
ヴェスパーは作中、さまざまな装いに身を包んでいます。その変化に目をとめると見えてくるのは、実は彼女自身でなくボンドの心の動きです。
登場時の彼女は、“資金係”という仕事上のパートナー。
上下のスーツにキリっと身を包んだ彼女を、ボンドは魅力的だと認めていますが、まだ特別強く惹きつけられている様子は目立ちません。
続いて、ポーカーゲームが続く場面です。
ここでは、ゴージャスなドレス姿を披露。ヴェスパーがドレスを身にまとっている最中、彼女とボンドの関係は大きく変化していきます。
自分が指示したはずの作戦で、彼女に見惚れてしまうボンド。
ふたりでギャングと対峙したあと、バスルームで震える彼女に優しく寄り添うボンド。
そして、命の危機を救ってくれた彼女に心を開いていくボンド。
ボンドはヴェスパーを、真っ当な世界の人間だと思っていました。彼女への想いは、彼の中のスパイ稼業の因果への疑念とリンクしていきます。
その証拠に、ル・シッフルの拷問から生還し、ヴェスパーと関係を深めたボンドは、MI6を辞める決意を固めました。
このとき、ヴェスパーが着ている服にまた変化が。薄く軽やかな布地のワンピース姿が増えています。特に目立つのが、緑を基調とした服装。
このときふたりが過ごすのも、緑の自然に囲まれた病院。
緑は安らぎの色です。ボンドが平和な幸せを手に入れたと感じていることを表しています。
しかし、その幸せは長くは続かず…。ボンドの目の前で命を落とす彼女が身に着けているのは、血を想起させる赤い色のワンピース。
ボンドは彼女の死を機に、改めてスパイとして生きる道を選びます。
ヴェスパーはボンドが求めた光。しかし…
ボンドからヴェスパーへ抱く心情を見ると、彼が実は平穏を求めていたことがわかります。
さらにいえば、彼は彼女こそが自分を真っ当な世界へと連れ出してくれる存在だと思っていたのではないでしょうか。