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ゴリゴリのロリータファッションに身を包む桃子と、バリバリの特攻服に身を包むイチゴ。
正反対ともいえる2人が反発し合いながらも心を通わせていく、「下妻物語」。
コメディータッチで描かれている映画ですが、その根底には2人の強い絆が流れています。
一見全く合わなそうな2人がどうやって絆を深めていったのか、気になるところです。
イチゴは桃子になぜあそこまでこだわったのでしょうか?そして友達はいらないはずだった桃子がなぜ、イチゴを頼ったのか?
様々な疑問が湧いてきます。2人の間に芽生えたものが一体何だったのか、読み解いて行きましょう。
どうしてイチゴは桃子にこだわった?
桃子に無下にされてもめげずに絡んで行くイチゴ。普通だったら諦めそうなところをなぜそこまで、イチゴは桃子にこだわったのでしょうか?
初めは、桃子のはっきり意見するところに興味を持った
普通だったらヤンキーであるイチゴに恐れを感じイエスマンとなってしまうところ、桃子は臆することなく意見します。
イチゴは桃子のそんなところに興味を持ったのではないでしょうか?ただのヤワな人間じゃない、と。
その後も桃子はイチゴに、ズバズバと自分の意見をぶつけます。
もしかしたらイチゴは、ヤンキー仲間の中でも気を使い自分の意見を表に出さずにいるのかもしれませんね。
本当は思っていることを全部ぶちまけたい!と思っているのににできないイチゴは、自分の願望を体現している桃子が羨ましかったのかもしれません。
桃子は“自分”を持っているから
ヤンキーになる前は、気弱なキャラだったイチゴ。
周りのいうことばかり聞いて生きてきたイチゴには、人のことなんて気にせずに生きている桃子が憧れの存在に見えたのでしょう。
周りと同じような格好や行動をしてつるんで動いているイチゴからすると、我が道を行く桃子は特別カッコ良く見えたに違いありません。
しかし舗爾威帝劉(ポニーテール)が大きな組織になるにつれ、イチゴは不満がどんどん溜まってしまうのです。
イチゴがけじめをつける終盤のシーンでは、桃子に対してイチゴが思っている本心が浮き彫りになりました。
周りに合わせて自分を持たずに生きていたくなんかない、桃子はしっかりと自分を持ち周りに迎合せずに生きている…。そんな気持ちです。
自立している桃子に、イチゴは多大なる魅力を感じたのでしょう。
桃子の中に「妃魅姑」を見たから
イチゴには空想上の人物、妃魅姑(ひみこ)という存在がいます。
1人で自分の足で立っている桃子が、憧れの妃魅姑のように感じられたのかもしれません。
妃魅姑はヤンキーで桃子はロリータ。全くタイプは異なるのですが、我が道を行く、そして臆することなく敵にぶつかって行く姿はとても似ています。
妃魅姑はイチゴの「自分もこうなりたい」という姿ですから、桃子の中にそれを見出したことで、桃子に執拗にこだわっても不思議ではありません。
自分の憧れを体現している人が目の前にいたら、誰だって後を追って近づきたくなります。