実話をもとにしているからだけではない、リアリティの手応えを感じるのです。
それらの暴力が観る人それぞれに共通する余韻を残していくのです。ここではその理由を考察していきましょう。
死んでほしいと願うことは悪なのか
藤井という男は、ヤクザも「先生」も死んで罪を償うべきと考えています。これは言い換えれば「人の死を願う」ということです。
一方で認知症の母親を持て余し「早く消えてほしい」でも「自分の手は汚したくない」と考えています。
これは角度が違うだけで、同じ死を願っていることにならないでしょうか。
自分が藤井の立場だったら、と置き換えると考え込まざるを得ません。そこには確かなリアリティがあります。
夢中になるほど覚めたときに自己嫌悪に
監督の演出や、鬼気迫る役者の演技から、この映画がフィクションであることを忘れて夢中になってしまうでしょう。
その怖いもの見たさの気持ちがあるからこそ、本作は多くの人に鑑賞され、後味の悪さを感じさせながらも評価されるのです。
この自己嫌悪こそが、本作がもつリアリティで、見えないながら伝わる感触を見る人に与えます。
事件のその後
藤井のモデルとなった記者・宮本太一氏は、本作の元となった記事を発表した『新潮45』の編集長を2008年11月号から2011年5月号まで務めました。
現在は『週刊新潮』の編集長になっています。
映画が公開されたとき、宮本氏自らも取材を楽しいと感じていたという事実を公言していました。
また劇中のセリフにあった
あなた、こんな狂った事件、追っかけて、楽しかったんでしょう?
引用:凶悪/配給会社:日活
と言うシーンで、まさしく自身に現実を突きつけられたと感じたそうです。
なお裁判では、保険金殺人を依頼した家族にも有罪判決が下されました。
ヤクザには死刑に加えて懲役20年、「先生」には無期懲役の判決が下っており、ヤクザと「先生」は刑務所の中で生きています。
まとめ
ヤクザ役のピエール瀧と「先生」役のリリー・フランキーはこの作品で評価され、お二人とも日本アカデミー賞の助演男優賞を受けています。
狂気のような犯行シーンはあまりにもむごく、この二人を他の映画で見ても恐怖感が拭えない人もいるくらい、真に迫った演技と言えるでしょう。
闇に飲まれていく記者・藤井を演じた主演の山田孝之を含め、わずか3週間で撮影されたとは思えない、濃縮な役者3名の演技には本当に驚きます。