「スタンド・バイ・ミー」は全編に渡ってノスタルジーを感じさせる作品に仕上がっています。この郷愁感はどこからくるものなのでしょうか。
帰らない少年の日々
私たちはみな、昔は幼い子供でした。
12歳というのは子供でありながらどこかで「この先どうなるのだろう」と考え始め、小さなコミュニティから(半ば強制的に)脱出し、大人への階段を踏み出す時期です。
けれど心はまだ子供の面影を残していて、暗い夜を屋外で友人同士で過ごす、ましてやそのまま朝を迎えることなどは非常に大きな出来事です。
「死体を捜す」という目的もセンセーショナルなものです。
「何か大きなことをした」という事実は達成感をもたらし、強い連帯感をもたらします。
劇中で起こったほどの大がかりなものではなくても、子供時代はどこかに「秘密の場所」があり、「秘密を共有する仲間」がいました。
それぞれの思い出を、本作と重ねることで呼び起こし、郷愁を覚えるのでしょう。
離れてしまった仲間たちへ
小学生の頃の友人たちと大人になっても連絡を取り続けるというのは、とても珍しいことです。
関係が続いていたとしても考え方、生き方に当時の面影はほとんど残りません。
劇中の彼らも、無限に続く日々を望む気持ちと、変化を起こしたい気持ちが同居していて、また変化してゆくであろうことも予感しています。
無限と有限のほんの一瞬の狭間、果てしなく続く線路から少しだけ外れたところに彼らの旅はありました。
私たちが随分過去に置いてきたもの、けれど確かにあった時間。
それを思い出すとき、故郷の商店街がショッピングモールに変わっているのを気づいた時のような懐かしさと喪失感を伴った郷愁を感じるのでしょう。
原作との違い
本作と原作を比べた時、いくつかの変更点があります。一つ一つは小さなものですが、結果的に作品の受け取り方が大きく変わっています。
青春ドラマとは少し違う原作
最も違うのはラストシーンです。
原作では4人の別れのシーンのあとも物語は続き、エース達に報復されるシーン、クリスとゴードン、テディとバーンのその後の人生も詳細に語られます。
また、エースに銃を向けるシーンが原作ではクリスになっています。ゴードンの成長や内面の強さを劇中で表現したかったのかもしれません。
本作はあくまで少年の日々を切り取ることでわかりやすくノスタルジーを感じさせる作品。
ですが、原作ではより平等にその後の話を進めることで、社会の残酷さや少年達の喪失感も同時に描いています。
どちらがよいということはありませんが、違った印象を持つのでぜひ読んでみてほしいところです。
まとめ
幼き日の無垢さや残酷さを含み、帰れない日々への憧憬を思いこさせる名作、スタンド・バイ・ミー。
私たちの中にある「あの日々」は今元気にしているのかどうか、スタンド・バイ・ミーを観て、ふと思い返してみてください。