そして自分は人を幸せにするのに向いてないという風な事を口にした父親に、私はあなたの子で幸せだったという事を伝えたかったのです。
そして、面会には来ずとも、お母さんもきっと同じ事を考えていると心で教えたかったといえます。
私達は、家族になれて幸せだったという、アンの再確認の行動なのです。
そして、先に死んでしまう自分を許してね、という父親への謝罪の意図もあったといえます。
夫以外の人を愛する事
リーという男性に出会って、夫のドン以外の人と恋に落ちる。これは一見タブーの関係です。
しかし、この意図はアンの心の解放で最大の冒険とも取れる行動です。
十代で家庭を持ったアンにとって、夫以外の人を愛するのが良くないというのはアンも心ではわかっているのです。
しかしリーを愛する気持ちは止まらなかった、止められなかった。
なので、最後の別れのシーンでアンは涙を流したのです。
リーと関係を持つ事で、一人でも多くの人の記憶にとどまりたい、これはアンの我儘のようで非常に人間らしい行動ともいえます。
別れて、自分が死んで終わりではなく、リーにもテープを残したのはアンの最後の優しさなのです。
果たせなかった事
リストの中には“家族とビーチに行く”など果たせなかった事もありました。
これもアンの承知の上での意図と呼べます。
その時期まで命が持たなかったというのもありますが、人間にとって後悔のない人生というのは存在するのでしょうか?
人間は欲求の塊です。後悔のない人生ほどつまらないものはないといえます。
人間は後悔する事が多いほど楽しい人生だったと呼べるというニュアンスが、この描写には意図されているのです。
アンが果たせなかった事を入れる事は、この映画にとってそこは何故なの?と考えさせる観客への投げかけともとれます。
命を削っても叶えたいのはなぜ?
アンは、周りには貧血だと偽り、最後の最後まで自分の命を削ってまでリストに書かれた願いを叶えようとしました。
そこにはどういう意味があったのでしょう?
周りの人の心を守る為
アンは人一倍心の優しい女性です。
特に娘達の事に関しては、最後まで心配をし、自分の変わりになりうる人まで探してしまうほどの気持ちを持っています。
命を削ってまでリストの願いを叶えたかったのは、延命しても意味がない事をわかっていたからこそ、周りの人に時間を使いたかったのです。
自分がいなくなっても家族が、周りの人間がいつまでも自分の死を嘆かず前を向けるよう彼女なりの最大の配慮だといえます。
自分は余命いくばくで、時間が2・3ヶ月しか残されていないのもわかっていたからこそ、命を削ってでも大切なものを守ろうとしたのです。
自分へのご褒美
17才の頃からタバコもお酒もやらず、娘と夫の為に時間を費やし、ひたすら家庭を守ってきたアン。