これは、映像の鮮やかさを使い分ける事で、その登場人物の心情の変化を見事に表現しているのです。
ゲーテの色彩論
ゲーテは独自の「色彩論」の中で黄色を最も光に近い色、青色を最も闇に近い色と定義しました。
そして黄色と青色が互いに歩み寄る中で、最終的に誕生する色が赤色であるとも定義しました。
青は死を連想させる色であり、赤色は生を連想させる色なのです。
庭のバラが黄色だったのは、瑞穂が“脳死”という死でも生でもない状態の事を表しているといえます。
そしてこの黄色は“瑞穂に生き返ってほしい”という母親の光を求める象徴ともとれるのです。
瑞穂の生きる目的
瑞穂の生きる目的とは一体何なのでしょう?
瑞穂の死を受け入れられない母親
脳は死んでいても、心臓は動いている状態の瑞穂。
瑞穂は自分の為ではなく、母親である薫子の生きる目的として生かされていたのです。
つまり、瑞穂の生きる目的はイコール薫子の生きる目的としてつながるのです。
どんな時も運命共同体のようにお互いを支えあって生きてきた瑞穂と薫子。
そんな瑞穂の死を母親である薫子は受け入れられないのです。
大人のエゴ
電気でショックを与えて身体を動かすなどの最先端の技術を用いて、何とか瑞穂の身体を動かそうとする薫子。
その技術を用いて口角まで上げさせることができるなど、薫子と研究者の星野の行動は段々と度を越えていきます。
しかし、それは大人の自己満足だったといえます。
大人が喜ぶ一方で、子供達は表面上は取り繕っていても、本音では瑞穂の死を確信しているのです。
子供達は大人よりも死に関して敏感だといえます。
弟の生人に関しては姉の置かれている状況を“可哀相”とまで思いつめていたのでしょう。
なので、誕生日パーティーの時に一気に感情を爆発させたといえます。
大人達がやっていた事は子供達の目には単なるエゴとしか映ってなかったのです。
人魚の真意
「人魚の眠る家」とタイトルにもあるように、なぜ“人魚”という言葉をこの映画は用いたのでしょうか?
人魚の真意に迫っていきます。
人魚の意味
人魚という生き物はこういう風に言われています。
“存在が曖昧”、“人間の世界で生きられない”、“人魚の肉を食べると長生きできる”こんな3つの伝説のある生き物です。