行き過ぎた管理社会はこうして無自覚に個人の自由を抑圧し、全体の統制のために平然と個人の犠牲を強いてしまいます。

サムの「夢」の本質は「抑圧からの解放」という極めて深刻なものであり、それがサムの夢に一定のリアリティを与えているのです。

ラストシーンの意味

「未来世紀ブラジル」を象徴するラストシーンは当時から賛否両論様々な解釈・考察がなされてきました。

サムの行ってきたことが全て「夢」であり「夢中夢」であったことが判明するラストシーンは果たして何を意味するのでしょうか。

二重の「抑圧からの解放」

ラストシーンを巡って、当時製作陣とスポンサーの間でカットするか否かの論争が行われたという逸話があります。

サムが苦難の末に自ら作り上げた狂気の夢中夢に逃げてしまい廃人のまま終わるのですから、ハリウッド映画の禁忌に踏み込む行為です。

しかし、ギリアム監督らはこの圧力に屈せず、見事にはね除けてこの映画史に残る衝撃の結末を受け手に残すことに成功しました。

これは正にサムが望んでいた「抑圧からの解放」を同じように製作側も望んでいた証だといえるのではないでしょうか。

架空の物語と作り手側の現実の双方で「抑圧からの解放」が二重に存在していたのもまた本作の結末に大きな説得力を与えています。

物語とはそもそも「ご都合主義」

私はご都合主義な解決担当の王女である 1 (FLOS COMIC)

サムの空想が示すもう一つの隠れたメッセージに“物語とはそもそも「ご都合主義」”もまたあるのではないでしょうか。

受け手は映画をはじめ面白くない作品を評価する時や万人受けする作品を批判するときに「ご都合主義」という言葉を用います。

しかし、物語は本来「ご都合主義」、即ち作り手が受け手に気持ちよく感じて貰えるように進行させる舞台装置の上に成り立っているのです。

そしてそのご都合主義を成り立たせているのは他ならぬ人間の空想であり、それをサムを通して突きつけているのではないでしょうか。

本作のラストシーンにはこうした物語のメタフィクション性としての鋭いメッセージも込められているのです。

ヌーヴェルヴァーグの再来

ヌーヴェル・ヴァーグの時代 (紀伊國屋映画叢書 3)

サムが拷問椅子に廃人状態で放置されるラストは否応なく管理社会に対する個人の無力さという絶望を突きつけます。

現実の余りにも行き過ぎた管理社会の前にはサム個人の空想という逃避は余りにも無力でした。

それは正に反ハリウッドから始まったヌーヴェルヴァーグの再来ではないでしょうか。

それまでのSF映画は途中にどんな困難があろうとも最後には必ず勝利の栄光、カタルシスが約束されていました。

それをこのラストシーンが見事に覆し、SF映画にヌーヴェルヴァーグの如き革新性をもたらしたことを証明したのです。

現実と幻想の狭間で

現実⇔幻想

「現実と幻想の間で葛藤する」というのはギリアム監督の十八番ですが、「未来世紀ブラジル」は特にそれが色濃く出た作品です。

では、その象徴であるサムは我々に何を伝えてくれたのでしょうか。その意味を考察してみましょう。

現実は個人の認知の集積で作られる

認知の構図―人間は現実をどのようにとらえるか (1978年) (サイエンス叢書〈H-1〉)

冒頭でも書いたように、肝心要の本作の管理社会の全体像は示されないままでした。

ここが「未来世紀ブラジル」の難解とされる所であり、幾らサム個人の空想とはいえ管理社会の仕組みは断片的にしか分かりません。

しかし、見方を変えれば本作はサム個人の認知で作り出された現実でしかなく、本当の所はどうかなんて知る由もありません。

我々の世界も同様に、現実の事件やニュースで報道されている内容もあくまで報道する側の都合でその一面だけが切り取られています。

サムの現実と幻想の間での葛藤は現実世界もまた個人の認知が積み重なって作られていることを示唆しているのではないでしょうか。

現実世界で起こる出来事の真相は必ずしも表に目立つ部分のみで成立しているわけではないのです。

「全が個を構成する」のではなく「個が全を構成する」

「個全システム」によるミーティング革新 〝横から目線〟のチームワーク化が会議の質を高める

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