五感に訴えるシーンが多いのも、切迫感をより増しているといえるでしょう。
観客はアーロンと共に絶望を味わうのです。
当初はドキュメンタリー映画としての製作が予定されていたが、ボイルはドラマ仕立てでの映画化を提案した
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/127時間
事実を淡々と描くのではなく、見やすく仕立てたのには、こうした効果も期待してのことと考えられます。
監督の手腕が光る演出ということができるでしょう。
アーロンが辿り着いた場所
時間の経過とともに疲労し、徐々に正気を失っていくアーロン。
彼が見た幻覚の中には、今作を理解するのに重要な意味を持っているものが数多くあります。
それを紐解いていきましょう。
恋人ラナの記憶が意味するもの
大雨で脱出する幻覚の中、彼が最初に向かったのは恋人、ラナの家。しかし拒絶される結果に終わります。
正確には、彼の言葉が実体のあるものにならず、意思疎通ができなかったということがポイントです。
これは、アーロンの深層心理の表れとみることが出来ます。
お調子者だった彼は、恋人にも本心で接することができなかったのでしょう。
孤独になるわよ
引用:127時間/配給会社:20世紀フォックス・ギャガ
スタジアムでの別れの一幕でラナが言い放った言葉からも、それが窺えます。
アーロンの見る幻は、彼自身の記憶によるもの。
彼は内心で今のままの自分ではダメと気づいていたことの証でもあるのでしょう。
岩が意味していたもの
そうして絶望を深めたアーロンが呟くシーンがあります。
この岩は 俺が来るのを待っていた
毎日のあらゆる行動が ここへと つながっていた
引用:127時間/配給会社:20世紀フォックス・ギャガ
それはビデオカメラの電池が無くなった瞬間でもありました。
彼はそうして、世界とのあらゆる接点を失ったのです。
そして見た幻は、幼いころの自分の姿。
全てのものから切り離されたとき、人は初めて本当の自分と向き合うことができるということなのかもしれません。
そして幻に無理に歩み寄ろうとした結果、腕を折り、脱出方法に気付くのです……。
孤独の代償と救ったもの
そして右腕を失うことになるアーロン。
彼が向き合った自分自身とはどんなものだったでしょう。
孤独とその重すぎる代償
今回の旅に出る際、アーロンは誰にも行き先を告げていませんでした。
飄々としている自分でいたかったのかもしれませんし、煩わしいものから逃げていたのかもしれません。
それが彼のいつものやり方でした。
しかしそれが、誰も助けに来ないことに繋がっています。
腕を失うことは、彼が孤独に生きようとしてきたことの代償なのです。
自分自身に気づくということ
自信家であり、お調子者であるのは彼の本来の性格です。
恋人への愛を再確認した彼はこう言いました。
認めるよ 俺はこんな男だ
でも頑張ったんだよ
引用:127時間/配給会社:20世紀フォックス・ギャガ
彼なりに、自覚があったことはわかります。
しかし、母に折り返しの電話もせず、妹の結婚式にも出なかったという記憶も。