ボーンの対極に位置するのが「ボーン・アイデンティティー」の「人間性」の象徴であるマリー・クルーツです。

マリーはいわゆるボンドガールのような優秀な秘書ではなくただのお金に困っていた普通の女性でした。

ボーンの逃走劇に巻き込まれていく内に彼女もセットで命を狙われるようになり、その度に何かと泣きつきます。

何度か髪型を変えたり、ゆきずりとはいえボーンと男女の関係になるなど、決してプロの思考・行動をしていません。

しかし、だからこそ警戒心の強いボーンが彼女の前でだけは笑顔を見せ心を開くことが出来ました。

彼女との交流もまたボーンのキャラクターに人間味を持たせ、奥行きを与えているのです。

トレッドストーン計画

「ボーン・アイデンティティー」の物語の求心力となったのがボーンの正体にも直結する「トレッドストーン計画」です。

本作全体を取り巻くこの大がかりな計画がいかなるものだったのかを考察していきましょう。

主体性なき「駒」

主体性は教えられるか (筑摩選書)

トレッドストーン計画とはCIAが大金をつぎ込んで工作員を育成し、暗殺者として世界中に潜伏させ暗殺を行わせるというものでした。

そのせいか、ボーンが対峙する暗殺者、工作員の殆どが上からの指示に従い任務を遂行するだけの「駒」としての存在感しか持ちません。

これまた本作の意欲的なアプローチであり、本作の「暗殺者」とされる人達はキャラクター性がかなり廃されています。

ボーンがありがちなスパイヒーローとして描かれていないのと同様、CIAの暗殺者達もただ忠実に任務を遂行するだけです。

そこに善人・悪人という区分は無く、それ故に無機質さ・人間味の希薄さが際立つ格好となっています。

ありがちなスパイ映画の悪役を描かないことでかえって「駒」としての存在感の薄さ・不気味さを演出できたのではないでしょうか。

絶対的な「悪」ではない暗殺者達

悪について (ちくま学芸文庫)

暗殺者達の演出に見て取れること、それは暗殺者達が決して絶対的な「悪」として描かれているわけではないということです。

これもまた従来のスパイ映画に対する一種のアンチテーゼなのではないでしょうか。

従来のスパイ映画は悪には悪なりの理念なり思惑なりがあって、その悪事をスパイヒーローの主人公が食い止めるという図式でした。

一方「ボーン・アイデンティティー」の暗殺者達はボーン抹殺に向けて動きますが、そこに個人の理念や思惑が入る余地は一切ありません。

ここにもまたありがちなスパイ映画の悪役を作るまいという製作側の強い意思が見えます。

トレッドストーン作戦失敗の原因

こうして見ていくと、トレッドストーン作戦が失敗した原因も段々読み解けてきます。

トレッドストーン作戦は何故失敗したのでしょうか?

人殺しへの躊躇に見るボーンの「人間性」

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)

物語終盤、ボーンは直属の上司コンクリンから喪失していたウォンボシ暗殺を巡る真相を聞かされます。

何とボーンは暗殺する筈だったウォンボシのベッドに姉妹が居たせいでウォンボシ暗殺を躊躇してしまったのです。

人殺しへの躊躇はスパイとしては本来失格ですが、これこそボーンの中に僅かに残っていた「人間性」ではないでしょうか。

そしてこの「人間性」こそトレッドストーン作戦失敗の原因を読み解く最大の鍵になるのです。

「ボーン・アイデンティティー」における真の「悪」

人間性心理学ハンドブック

これまでの考察を踏まえると、トレッドストーン作戦失敗の原因にして本作における真の「悪」が分かってきます。

「ボーン・アイデンティティー」における真の「悪」、それは「人間性の喪失」ではないでしょうか。

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