ルイの心の中では、シバも既に当たり前には生きられない死んだ男になってしまった。
だから二人の男が死んだ=飛び立ったという意味を込めて刺青に眼を入れたとも考えられます。
物語が語る生きる意味
人間は一人ではない
ルイ、アマ、シバの三人は三人ともそれぞれを必要としていました。それがある面において互いを裏切り合う行為であっても。
アマに出会う前からルイにはマキという友人がいました。アマにはシバが、シバにはアマがいた。
一見アンダーグラウンドな世界の住人である三人ですが孤独ではありませんでした。
また、アマの葬儀の際にはたくさんの人が参列しています。アマが殺害した暴力団員にも仲間がいました。
こうした構図から見えるのはどんな人間でも一人ではないというメッセージ。
そして、だからこそ人はどんなことがあっても生きねばならないということを突き付けられます。
世界はただあるがままに
作中、殺人を犯したアマは殺されてしまいました。密かにアマを裏切りシバと深い関係になっていたルイは大切な人を失います。
世界は因果応報であることを表しているように感じますが、その後ルイはシバと一緒に生活をはじめました。
アマが報われませんが、同時に観客は世界はただただそんなものだと冷たく突き放されているようにも考えられます。
アマは人を殺した殺人犯で、それは許されることではありません。
因果応報だからこそなるべく良いことをして生きるか、それとも世界はただあるがままと考え思いのままに生きるか。
私たちの生きる意味は自分で決めなければならないのでしょう。
アンダーグラウンドな世界の普通の人たち
作中で印象的なのがスプリットタン(蛇のように割れた舌)や刺青といったアンダーグラウンドな要素。
とても特異な世界に見えますが、この映画ではそれらを身に付けるための「痛み」が重要な意味を持っています。
ルイもアマもシバも夢を語ることがありません。ただただ毎日を生きている。
そうした彼らが「生きている」ということを実感できるのがピアスや刺青を入れる「痛み」を感じている時なのではないでしょうか?
そしてそれは平凡に生きている私たちにもあてはまります。平穏を望みながら心のどこかでは常に刺激を求めている。
たとえ痛みを伴うことに踏み出すことができなくても。
そう考えればルイも、近寄り難い外見をしているアマやシバも観客と同じ普通の人間でしかない。
作り手側は痛みの描写を通して人間はみな同じなのだということを伝えていると考えられます。
人間という存在への問いかけ
主要人物たちはそれぞれ独特の個性を持っています。それらは何を意味しているのでしょうか。
主要人物の持つ二面性
ルイの二面性
- 登録制のコンパニオンのアルバイトで、着物を着てビールを注ぐ姿は普通の明るい女性。
- 舌にピアスを開けることや刺青を彫ることに憧れ、アマを容易く裏切りシバと関係を持つ。
明るさの裏で自分の興味のためなら他人を裏切ることができるルイ。