裏切りが横行し誰も信頼できない人生の中で唯一頼りにしてきた感覚、それがマイケルを選んだのでしょう。
選ばれし存在
その選択は間違ってなかったことになります。ファミリーにとっては。
もともとマフィアにはなりたくなかったマイケル。
ですが皮肉なことにドンの地位を望んだ他の兄弟よりもマフィアとしての才能が天与の才として備わっていたばかりに否応なくその道を歩むことになります。
自ら選んだヴィトー、そして選ばれたマイケル。二人は偉大なドンとして君臨しました。
マイケルは海兵隊で何を見たか
兄弟のうちで唯一兵役に就いたマイケルは英雄として復員します。戦争に行っていない者には想像もつかない残酷な世界が戦場では繰り広げられています。
特にマイケルが従軍した海兵隊は第二次世界大戦においてはマリアナ諸島などの激戦地に派遣されていました。
ソニーやフレドが生きるマフィアの世界は過酷とはいえ、マイケルの知る地獄のような戦場とは雲泥の差があります。
おそらく兄弟の中で最も命の大切さを知り、命のはかなさを知り、死の残酷さを身をもって理解しているのがマイケルでしょう。
英雄と呼ばれるほど活躍したのであれば、凄惨な場面は数えきれないほど目にしているであろうからです。
ソニーやフレドとは明らかに異質な佇まいをマイケルが見せるのはそのバックグラウンドがあるからでしょう。
5大マフィアのボスを次々と粛清し、コルレオーネファミリーの地位を固めたマイケル。
そして裏切り者の古参幹部のテッシオを粛清し、さらには兄ソニーを殺害した妹の夫カルロをも処刑します。
誰よりも命の重さを知っているはずなのに一つの表情も変えずに多くの血を流すのはマイケルが冷酷だからではありません。
過酷な戦争で命のやり取りをしてきた彼は、覚悟の決め方が違うのです。
巨大な組織である”ファミリー”を、そして家族を守るためにはどんなことも厭わない、その覚悟の決まり方がほかの兄弟とは決定的に異なるのでしょう。
その覚悟は血が流れようとも妹になじられようとも変わることはありません。
たとえそれが、彼が望んだ姿ではなかったとしても。一度は受け入れたその道を揺るぎない足取りで進んでいくのです。
彼らが守った美学とは
二人の偉大なドンの人生を通して、この映画で描かれた男の美学がこの映画に普遍の魅力をを与えているのかもしれません。
感情はないものと心得よ
老獪なヴィトーはもちろん、マイケルは若いころから感情をあらわにすることがあまりありませんでした。
唯一妻のケイにカルロ殺害を責められたときに逆上しますが、家族以外の前ではいたって冷静です。
ソニーは感情的になりすぎるきらいがあり、ドンには指名されませんでした。
王者でいるためには、まるで自分の感情などないかのようにふるまうことが彼らの美学であるとともに必要なことだったのでしょう。
そのためにマイケルはあのコニーの結婚式で見せた柔らかな表情の「好青年」の姿を失い、ヴィトーと同じ影を背負うことになるのです。
救いはないと覚悟せよ
娘の結婚式にも殺人の話をしなければならないヴィトー。
コニーの息子の洗礼式に立ち会いながらも自分の下す命令によって次々と人を殺すマイケル。
この二つの光と闇が交錯するシーンは、ヴィトーやマイケルが二度と本当の意味で日の当たる世界を歩けはしないこと、そしてこれも本当の意味での救いは彼らに訪れないことを示しています。