公共トイレも未整備状態。家から道に汚物を投げ捨てることも普通であったという事です。
19世紀にコレラが流行するまでこの状況は変わりませんでした。
貴族文化と香水産業
皮肉にも「臭い都」パリによって香水産業が発達していきます。
当時は水不足でありお風呂で湯船に浸かることは稀でした。人々の体臭が強くなっていたと考えられます。
また、手袋など日用品や衣服に革製品が使われていました。当時の革製品は匂いも強く、香料によってその匂いを緩和していたようです。
体臭と街の異臭への対策の結果、香水の利用が盛んになっていきました。
ラストの処刑シーンの意味
本編でも最も不可解なシーンです。処刑シーンについて考えていきましょう。
究極の香水と愛の形
究極の香水はこの世のものと思われぬ香りを放ちます。
人々はその香りから、神の使いである「天使」が舞い降りたと感じます。
愛の象徴である天使のもと、群衆は恍惚状態になり隣の人と性交を行います。
これが彼らの「愛の形」でした。
その時、ジャンは処刑台で「初恋の少女」と交わる情景を思い描きます。
彼もまた究極の香水によって愛を感じていたのならば、彼にとっても「愛の形」は彼女と結ばれることだったかもしれません。
承認されること、目的を達成することよりも愛が大切
洞窟の体験以降の目的は達成され、皆から「天使」として認められたジャン。
究極の香水があれば世界を支配することもできました。しかし、ジャンは虚無感に苛まれます。
そして、彼は出身地であるパリの貧困街へ向かいます。
どうしてでしょうか?
それは彼にとって世界の支配や人々に承認よりも、愛や自身の存在意義を知ることが重要だからではないでしょうか。
最後のシーンと処刑シーンの違い
さらに興味深い点は群衆のジャンに対する反応が貧困街と処刑場とでは異なる事です。
庶民や貴族にとっての愛は他者との性交でした。一方で貧困街の人々の行動は飢えを解消することでした。
描写はされていませんが、恐らくジャンは食べられてしまったと考えられます。
なぜこのような違った反応を貧困街の人々は示したのでしょうか。
それは日々の生活環境の違いによって、両群衆の欲求が異なっていたからかもしれません。
おわりに
猟奇的な犯行や不可解に見えるシーンがある本作品には生きる意味や愛についての示唆があります。
ジャンは異才に恵まれました。
彼の境遇はひどいものでしたが、最後には人々から称賛され、世界を支配する力までも手に入れました。
しかし、彼が望んでいた「愛」は究極の香水からも得ることはできなかったのです。
ジャンの人生は特別なものと言い切れるでしょうか。
「死別した愛する人の匂い、瓶に詰めて香水に フランス」という記事によると人の匂いを香水にする技術が開発されています。
衣服から匂いを抽出するようです。
愛する人の匂いを記憶と共に身近に感じていたいという思いは誰にでもあるものだと思います。
その思いはジャンに限らず、誰もが抱く可能性があるものでしょう。
この技術があれば、もしかしたら究極の香水を人の命を奪うことなくして再現することが可能かもしれませんね。