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ミュージカル映画の巨匠スタンリー・ドーネン監督が1957年にパラマウントでメガフォンを取った「パリの恋人」。
オードリー・ヘプバーンは本作で御大フレッド・アステアを相手に初のミュージカルに挑戦しました。
さらにクラッシックバレエを習っていた彼女のダンスと、チャーミングな歌声が楽しめます。
この映画はとにかくヘプバーンのコケットな魅力とシリアスな恋愛に対する表情を堪能する映画と言い切っていいでしょう。
ジバンシーの衣装をまとってパリの街を舞台に華麗に、時にセンチメンタルに躍動するヘプバーンは魅力一杯です。
お気楽なミュージカル映画と思われがちですが、なかなか意味深い恋物語となっています。
ここでは、ヘプバーンとアステアの恋の進行がどう表現されていったかを見つめていきたいと思います。
本棚での突然のキスの意味、ラストの発表会での涙、フロストル教授の存在の意味などを考察していきましょう。
「キス」
この映画に2つの大きなメタファーがあります。それが「キス」と「涙」。そして直喩としての「ダンス」にも意味深いものがあります。
まず、それぞれのフェーズでのキスが何を物語るか考察してみましょう。
いろいろな意味を持つキス
古書店にやってきた撮影隊。店中の本を散らかして引き上げていったあと、片付けるヘプバーンをアステアが手伝います。
高いところの本を整理していたヘプバーンに、アステアはいきなりキスをします。しかも唇に。
さて、最初のキスは何を物語っているのでしょうか。
固いジョー(ヘプバーン)の「理性」を和らげよう
今回、雑誌「クオリティ」が求めるモデルは知性を持った美しい女性。更に「ミス・クオリティ」を決め売り出そうというのです。
ベテランカメラマン、ジャック(アステア)の発案で、知性を求め街の古書店を訪れます。
そこで撮影隊は(ディックがですが)ヘプバーンを見出します。
しかし、そこにいた店員ジョー(ヘプバーン)は美しいけど野暮ったくて、「共感主義」にかぶれてるコチコチの堅物。
恋愛についてもまず頭で考えてしまい、一歩踏み出せない理論派であることをディック(アステア)は見抜いたようです。
ディックはジョーが個性と知性を併せ持った美女であることをすぐに理解しました。
まずは「恋」に目覚めせ、固さを取ろうとしたことは容易に想像が出来ます。
そのためにはホッペにキスでは駄目なんです。唇でないと。その作戦はまんまと成功します。
ディックが帰った後、ヘプバーンが一人になって唄う歌。それが「How Long Has This Been Going On?」という曲です。
この「This」は恋(のように胸がときめくもの)を知ってしまった不安を指しています。
私は今まで 何をしてきたの 自分の気持が分からない
引用:パリの恋人/配給:パラマウント
と、自分の心に男性に対する思いへの葛藤が生まれたことを告白。しかし、
でも すてき 最高の気分よ
たまらなく幸せを感じる 一度のキスがすべての原因
引用:パリの恋人/配給:パラマウント
ジョーの心に変化は生まれましたが、まだまだ「共感主義」と決別したわけでも、モデルになると決めたわけでもありません。
パリでの撮影中のキス
「Funny Face」(本作の原題=おかしな顔)ではあるけれど、個性的かつ知性的な美しさを持つジョー。
尊敬し憧れる「共感主義」のフロストル教授と会える、との期待からモデルとしてパリでの撮影に行く決心をします。