イライザが「水の精」として捉えられるのならば、アセットは何ものとして描かれたのでしょうか。
彼はアマゾンで捕らえられたのですが、先住民からは神として崇められていました。ジャイルズの髪の毛を増やしたり傷を治す超能力も持っています。
彼はただの怪獣では無く、やはり「海の神」(塩水でないと生きていけない)の一人ではなかったかと思われるのです。
とすると、「水の精」と「海の神」が愛し合い結ばれるのは決して不自然ではありません。もとより言葉など必要なかったのです。
そこが「大人のおとぎ話」「ファンタジー」「寓話」としての「愛の夢の話」であり、映画が発する感動なのでしょう。
最後に提示された「詩」の意味とは
本作はオープニングとエンディングがジャイルズの語りで綴られています。冒頭、イライザが見ている水中の室内の夢の映像をバックに、
または警告しておこうか。真実と愛と喪失の物語について。そしてすべてを破壊しようとしたモンスターについて
引用:シェイプ・オブ・ウォーター/配給:20世紀フォックス
と語ります。この段階ではモンスターとはもちろんアセットの事ではなかった事は観客は分かっています。
では、何を喪失したのでしょうか。ジャイルズにとって自分の前から消えてしまったイライザの事なのでしょうか。
それとも映画のテーマのように、もっともっと大きな意味での喪失を指しているのでしょうか。それは観客に委ねられています。
さらにジャイルズは、イライザのことを思う時、古い詩を想い出す、と一編の詩を詠むのでした。
あなたの姿がなくても 気配を感じる あなたの愛が見える
愛に包まれて、私の心は優しく漂う
引用:シェイプ・オブ・ウォーター/配給:20世紀フォックス
ジャイルズは、イライザはアセットと共に幸せに暮らしている、自分はそう信じているよ、と吐露しています。
ジャイルズはイライザとアセットに「神性」を感じ取ったのではないでしょうか。
「形のないもの=水」に包まれていたイライザとアセットはきっと神の国に行ったに違いない。
その「形のない神」を私=ジャイルズは二人に感じるのだ、そう詠っているように思えます。
だからこそ詩が終わるとメインタイトルが水の中に浮かび上がる意味が理解できるのです。
そして、その後の二人は…
ラストシーンの二人
自らの超能力でイライザの傷を治し、彼女を抱えて海に飛び込みます。そして先述のようにイライザの首にエラのようなものが出現。
彼女は海の中で生きていける存在となります。そして二人は堅く抱き合いました。
二人の「水(海)の精」たちは姿や言葉などの外見を乗り越えて愛を確かめ合い、海の中で幸せに暮らす手段を得ることが出来たのです。
二人はおそらくアマゾンに帰り、幸せに暮らしたのではないでしょうか。
永遠に声は要らない環境で。
ファンタジーは続く
ミステリアスな寓話の中に、普遍の愛を提示しつつ、不寛容な雰囲気を諌めて、美しい「大人のおとぎ話」として完成度の高い作品となりました。
アカデミー賞美術賞を獲った全体に緑色の混じった水色、次第に赤が意識される色彩の変化も物語を雄弁にサポートしています。
そして忘れてならないのは作品の情緒を盛り上げる名匠アレクサンドル・デスプラが手掛けた主題曲を始めとしたサウンドトラックの数々。
ラストシーンから後の余韻は映画を観た人が夢見るように、楽しく変化させていけば良いのではないでしょうか。「寓話」なのですから。
イライザが自分が実は「人魚」だったと気がついたのでは?とか、幼い頃川から助けてくれたのは実はアセットだったのでは?などと。
二人の幸せを願いつつ。