完全な育児放棄、むしろ殺意を持った殺人です。
ここまで由希子を追い込んだものは、様々な要因と様々な偶然といえるでしょう。
由紀子は自分を制御出来ない程、狂ってしまったのです。
子供を部屋に閉じ込め殺した彼女は確かに母として、人として最低の人間といえます。
しかし彼女を狂人に変えてしまったのは、社会的弱者という目に見えない差別だったのではないでしょうか。
子供側からの視点
本作は定点カメラを使用することでリアル感を出していますが、その視点は子供目線となっています。
育児放棄を受ける子供の目線で、残酷な現実を観る者に強烈に印象付けているのです。
母を求める子供
生活がいくら苦しくても、子供には何の責任もありません。
子供が欲しいのは、綺麗な部屋でもおいしいご飯でもなく、優しい母親なのです。
劇中、母親の帰りを待つ姿や食事の時にわざとこぼす姿が描かれています。
子供は母親を無意識に求めているのでしょう。
母親がどれだけ変わろうと、どれだけ酷いことをされようと子供は親を求めるのです。
監督のメッセージ
子供たちの姿は、あまりにも切なく由希子に怒りを感じる人も多いようです。
緒方貴臣監督は、日本中に真実を伝えようとしたのでしょう。
同時に由希子と同じ道を進まないよう、日本中のお母さんたちへ子供がどれだけ親を愛しているかを伝えたのではないでしょうか。
この映画は児童虐待防止全国ネットワークが運営する「オレンジリボン運動」の推薦映画に認定された。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/大阪2児餓死事件
本作は子供たちにとって大きな救いになるはずです。
「子宮に沈める」の意味
子供たちを殺害する由希子の行動は猟奇的に描かれていました。
自らの手で堕胎を行う、ここが子宮に沈めるの意味になってくるのでしょう。
しかし、自分の子供たちをなかったことにしてしまい、すべての現実から逃げてしまう…。
ここにこそ子宮に沈めるの本当の意味があるのかもしれません。
人の始まりの場所である子宮、そこに沈めるのです。
人は生を授かった時から、全てをなかったことには出来ません。
由希子がおこなったことは紛れもない悪ですが、由希子だけが悪なのか、なぜ由希子は悪になってしまったのか…。
母として生きることや社会の助け合い、そこを考えることが子宮に沈めるの本質なのです。
実際にあった大阪2児餓死事件
本作は、胸に残る何ともいえない重く苦しいものが現実から目をそらすなと教えてくれているようです。
劇中に描かれた事件は実際にあった「大阪2児餓死事件」が元になっています。
これは単なる小説の物語ではなく、私たちのいる現実で起きていることです。
この映画を観て、感じる全ての感情から目を背けてはいけないのではないでしょうか。