レスリーの死によって彼女の両親は引っ越し、学校にあった彼女の席も私物も全部なくなってしまいます。
唯一彼女と作った思い出の場所であるテラビシアの秘密基地も跡形もなくなっており、ここに時の経過の残酷さが示されています。
これは作り手自身が示す「死」がもたらす「喪失」、即ち「人の手が届かない」という無力さの強調でもありましょう。
そしてこの後、どんな形であれレスリーはその姿を一切現すことはありません。
この「死」の重みはファンタジックでありながら「喪失」という痛みを描くことで架空性とリアルのバランスをしっかり保っています。
ジェスにとってのレスリーの死
レスリーの死を巡って一番強調して描かれたのは彼女の死を突きつけられた所から立ち直るジェスの描写です。
ジェスはレスリーの死をからかったいじめっ子を思わず殴ってしまいます。
これまでどんな理由があろうと一貫して他者に暴力を振るうことなどなかっただけにこの描写は極めて衝撃的でした。
こうまで感情を露わにすることで、努めて理性的であろうとしてきたジェスの感情面がこれ以上ないほど浮き彫りになっています。
これはジェスにとって一つの「通過儀礼」なのではないでしょうか。
自分の心を開かせてくれた親友の「死」を乗り越えることでジェスは「少年」から「青年」へと脱皮していくのです。
つまりここでジェスは初めて「自分」と向き合い、そして「他者」と向き合って自分の力で自分を変えていきます。
変わっていく世界
レスリーの死、そしてそれを乗り越えていくジェスを通じて世界はどんどん変わっていきます。
彼女の死が「テラビシアにかける橋」にどのような変化をもたらしたのでしょうか?
孤独からの解放
一番の変化はジェスが「孤独」から解放されたことでしょう。
いじめっ子だったジャニスが味方してくれたり、担任教師や父がジェスの気持ちに理解を示してくれるようになりました。
そして家族で一番疎ましく思っていたメイベルを受け入れ、テラビシアに招待するまでになります。
こうしてジェスはレスリーとの交流、そして彼女の死を乗り越えることで自分の殻を破り、孤独から解放されていくのです。
そこにはもはやかつてのネガティブな感情しかなかったいじめられっ子の彼の面影はありませんでした。
メイベルが女王となった真意
物語は最後、孤独から解放されたジェスがメイベルをテラビシアに招待し、彼女が女王となることで綺麗に幕を閉じます。
ここで何故メイベルが女王となったのか?様々解釈はありますが「社会との関わり」が生まれたことではないでしょうか。
テラビシアはそれまで木の巨人や軍隊兵などはありましたが、しかし全体像としての「社会」までは描かれていません。
何故ならばテラビシアはずっとジェスとレスリーの二人だけで共有されており、門外不出であったからです。
その門外不出の世界に現実世界で一番家族や友達との関わりを持ったメイベルが来ることで初めて現実世界とテラビシアが繋がるのです。
つまり、メイベルが女王となった真意はメイベル自体が本作における「現実と想像」の象徴であり、また一番愛される人だったから。
だからこそあのラストカットをもって初めてテラビシアという架空の国が真の完成を迎えるに至ったのです。
閉じきった孤独の世界から真に豊かな他者との繋がりとして広がった世界への完成、それがあのラストシーンの意味ではないでしょうか。
「テラビシアにかける橋」の意味
こうして見ていくとタイトルの「テラビシアにかける橋」も実に様々な意味が含まれています。
「現実と想像」のかけ橋、「生と死」のかけ橋、「聖と俗」のかけ橋、そして「自分と他者」のかけ橋等々です。
一人の神童少女と内向的な少年の出会いが孤独な少年の心を解放し、死という痛みを伴いながらも現実を前向きに変えてくれます。
それを可能にしていくのは「想像」と「行動」なのです。
そしてその想像と行動は大人にとっても忘れてしまった大切な物を思い出させてくれます。
だからこそ今尚老若男女問わず愛される普遍性のある名作にまで至ったのではないでしょうか。