出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B00OSZ9YBO/?tag=cinema-notes-22
「鑑定士と顔のない依頼人」は、希代まれなる才能を持つ美術鑑定士と、彼を取り巻く恋人や友人が織りなす精神世界をテンポよく物語るミステリー映画。
名匠ジュゼッペ・トルナトーレ監督が得意とする照明効果で、何世紀にもわたる無数の古美術品をいかにもリアルに描き出した作品に仕上がっています。
また、映画音楽史に名を残す作曲家エンニオ・モリコーネの荘厳なしらべと相まって、強烈な世界観を構築する仕掛けにもなっているのです。
この作品に隠されたテーマとメッセージを探し出すために、3つのシンプルな問題をいくつかの重要なキーワードを軸に読み解いていきましょう。
今回フォーカスする3つのポイントは「最後にレストランへ向かった理由は何か」「オートマタは何を語るのか」「贋作の中の真実とは」です。
モチーフとしての「歯車」
まず、物語全編を通して見え隠れる「歯車」に着目してみましょう。
指でつまめるほど小さく錆びついて床と付着した歯車は、おそらく天才鑑定士ヴァージルでなければ見過ごしてしまうところでしょう。
この歯車は一体何をモチーフとして、どんな意味をもっているのでしょうか。
小さな歯車から何世紀も前に作られた何かを探す願望にかられたヴァージルと、テクニカル・エンジニアといった風采のロバート。
歯車を分析するうちに、それらが18世紀に造られた自動機械「オートマタ」の一部であることを突き止めた瞬間、物語は真の幕開けを告げるのです。
「歯車は人間のようなもの。共に寄り添いながら互いに同化していく。」
引用元:鑑定士と顔のない依頼人/配給会社:ワーナー・ブラザーズ
ロバートがこのように意味深な言葉を発しとき、ヴァージンも腑に落ちるような表情で応じることで、物語の中核となる重要な伏線が張られます。
まるでお互いがそれをごく自然に受け入れ理解しているかのような描写です。
歯車はオートマタの一部に組み込まれたまま表舞台から姿を消すのですが、入れ替わりにオートマタが物語の終盤まで重要な役割を果たします。
なぜプラハなのか、なぜレストランなのか
クレアの言葉だけは信じたかった
なぜ、ヴァージルは廃人のようになり精神病院に行くことになったのでしょうか。
それはおそらく、劇中で描かれたように一生をかけて築き上げたすべてを失っただけでなく、信じられるものを見失ったからでしょう。
しかし、生きてるうちにせめて1つでも信じられるものを探そうと決意したはずです。
人生で初めて身も心も許したクレアが「世間を疎む私たちは似た者同士」と繰り返した記憶の中に、ヴァージルは人生の最後を賭けたのではないでしょうか。
クレアがヴァージルに明かした自らの過去のうち、どこまでが真実でどこまでが嘘なのか、罠の全貌を知ったヴァージルには確信が持てるはずもありません。
ただ、絶望に満ちた短い人生のなかでクレアが唯一幸せを感じたというプラハの街とレストラン「ナイト・アンド・デイ」だけは信じたかったのです。
むしろ、それ以外に信じられるものはないと確信したのではないでしょうか。
ヴァージルは窓から見えるプラハの街並みが安らかな心温まる景観に映ったことで「ナイト・アンド・デイ」に向かう勇気を得たと考えられます。
心の中にやどる「真贋」
ヴァージルがたどりついた建物の看板に「Night and day」の文字が映し出された瞬間が、この作品のメッセージを象徴しているようです。
クレアの記憶にあったレストランは確かに実在したことを観る人に強く印象づけるカットでしょう。
そして、レストランの店内でヴァージルの目に飛び込んできたいくつもの歯車が、物語の序盤でいったん表舞台から姿を消した歯車を思い起こさせます。
ことによって、重要なメッセージとして届けられるのです。
店の奥まで歩を進めるにつれて大きくなっていく歯車。
そして彼が腰かけたテーブルは巨大な歯車に埋もれるほどになる場面では、この作品のテーマを強く打ち出すのに素晴らしい演出効果を発揮しています。