出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B00846NKYK/?tag=cinema-notes-22
“Gremlins 2 The New Batch”は、1990年に制作された、グレムリンの後編のアメリカ映画です。
この時代といえば、ちょうどバブル崩壊が起こっていた時です。
この時代のアメリカ人の心情なども、コメディタッチでシニカルに描かれている作品だと思います。
この映画の意味するところは、本当は怖いのかもしれません。一緒に見ていきましょう。
近代的なビルが象徴するもの
クランプ・センタービルには、最新鋭の設備が満載しています。ところが、人間に全く優しくなく、人を嘲笑うかのような装置が目につきます。
逆回転して人間が振り回されたり、監視システムでサボっているのがみつかったら即時首になったりするような会社です。
夢を失ったドラキュラや、つっけんどんなタクシードライバーも、ニューヨークの世知辛さを表現しています。
ここで、みんなの憧れのニューヨークで生き残ることがどんなに大変なのか、バブル時代の社会状況が窺い知れます。
前近代の象徴
一方で、立ち退きを要求されているチャイナタウンは、ゴミが散乱して前近代の象徴のような世界です。
いくらお金を積まれようが、大事なものを固守する古物店主は、センタービルで働く実利主義の人々と対局の人間として描かれています。
店内を物色して、怪し気な物や古びたものを嘲笑い、テレビを置いていく立ち退き屋たちに、テレビなんて見ているとバカになると相手にしません。
テレビ文化は、人の思考を停止させます。
ランボーが画面に映って、戦争を肯定していましたが、思考が停止した状態で見ている情報はすんなり頭の中に入り込んでいきます。
国民総白痴化計画という言葉でも、揶揄されることがありますが、テレビの害について、ジョー・ダンテ監督も一家言あるのでしょう。
キズモと分身の象徴
ギズモは水に濡れてしまい、分身がたくさん現れてしまいましたが、なぜあんなに凶悪な分身ばかりができたのでしょうか。
あんなに可愛いギズモの分身なら、同様に無垢なモンスターができてもおかしくないはずです。
善良な人の心にも悪が宿るように、あまりにも善なものからは悪が潜んでいて出てくるということを教えたかったのでしょうか。
出てきたグレムリンたちは、悪行の果てにやりたい放題、人間社会をぶち壊しそうになります。
この善良な心から分離した悪の心のようなモンスターたちは、私たちの何かを象徴しているように思えてなりません。
文明という名の暴走
文明とは、人間のすばらしいこと。
思いやり 規範 作法 伝統
引用:「グレムリン2新・種・誕・生」/配給会社:ワーナーブラザーズ
グレムリンたちは、文明を求めていると言いますが、まったく文明の意味とかけ離れた暴力行為をしています。
人間の進化を求めて暴走する、私たち人間の行動や欲望についての警告だと捉えられます。