看護婦と話していた際に、看護婦の息子が良多との間に入ります。
看護婦は再婚相手の子どもである息子との関係をうまく築けるか不安で、野々宮家と斎木家の子どもの取り違えをしたはずです。
しかし看護婦が息子と家族として暮らしていく中で過ごした時間が2人を家族にしたからこそ息子が母親を守ろうとしたのではないでしょうか?
昔から日本には「生みの親より育ての親」、「親がなくとも子は育つ」といった表現もあるのです。
タイトルの真意
この映画のタイトル、『そして父になる』にはどのような真意が隠されているのでしょうか。
父親として成長する過程を描いている
この映画には、「新生児の取り違え」という問題に直面することで、苦悩と葛藤しながら父親が成長する過程を描かれています。
これまで家庭を顧みずに仕事ばかりしていた良多が、初めて子どもと向き合い、時には間違えながら本当の父親になろうとしていくのです。
誰でもいきなり父親、母親になれるはずはありません。
子どもと向き合って、同じ時間を過ごすことで一緒に親子になっていくのではないでしょうか。
そして父になる
子どもの取り違えが判明した際、良多は自分とは違って競争意識があまりなく優しい性格の慶多が自分の子どもでないことに納得していました。
しかし、斎木家との交流や妻、そして慶多と琉晴という息子たちとのふれあいの中で本当に大切なものに気がつきます。
ラストシーンで斎木家を訪れた良多を見て、逃げ出した慶多。
良多は想いを伝えるため慶多を追いかけながら、お互いの本音をぶつけ合います。
2人のそれぞれ歩いていた道が合流した瞬間、お互いの想いも交錯し、良多は父になるスタートラインにようやく立つことができたのです。
全員で斎木家に入った理由とは
『そして父になる』は飛び出した慶多と一緒に良多が斎木家に戻り全員が家の中に入るシーンで幕を閉じます。
なぜ、全員で斎木家に入ったのでしょう?
それは2組の別々だった家族が一緒に子どもたちの成長を見守っていく、という決意なのではないでしょうか。
今までは子どもたちを交換しなるべく関わらずに生活をしていこうという方針だった両家が、協力し合いながら愛情を持って子育てをしていく。
これが両家の導き出した答えだったのです。
結末は正解だったのか
この2組の家族の本当の結末というのは映画の中で明確に描かれていません。
子どもの交換を取りやめるのか、それとも交換したままにするのか。
他にも、本当に両家揃って全員の子どもたちを育てるという選択肢もあるかもしれません。
ただひとついえることは、本当の結末がどのようなものであっても、家族とは血の繋がりだけでなく過ごした時間も大切であるということです。
血が繋がっていても繋がっていなくとも愛情を育むことができればきっとその家族にとっての結末は幸せなものとなります。