出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B003ZSH2PA/?tag=cinema-notes-22
映画「アウトレイジ」は「世界のキタノ」として名声を固めてきた北野武監督が「暴力」にとことん振り切った作品です。
キャッチコピーの「全員悪人」は伊達ではなく、本作は主演から脇までほぼ全員が悪人で固められています。
敢えてそれまでの北野映画の常連ではなく、目新しい役者で固めたことも覚悟と決意の表れでしょう。
内容は過激故に賛否両論ですが、一貫したその冷徹さは清々しい印象すらあります。
受賞歴は以下の通りです。
第20回東京スポーツ映画大賞
第42回報知映画賞特別賞第63回
カンヌ国際映画祭 パルム・ドール ノミネート
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/
本稿ではラストシーンの意味とその暗示を中心に、大友の死や水野のその後などを徹底考察していきましょう。
乾ききった暴力
北野映画の大きな特徴の一つである「暴力」ですが、本作は従来の作品とやや趣が異なります。
果たしてどのように位置付けられているのでしょうか?
論理のみの殺人ゲーム
「アウトレイジ」最大の特徴は一切の感情を排した「論理のみ」の殺人ゲームであるということです。
これまでの北野映画では暴力の怖さと同時にどこかに「情」の部分が残っていて、その対比で暴力の怖さを際立たせてきました。
しかし、本作はその「情」すらもかき消し、組織の論理によって次々とゲームのように殺されていきます。
一見複雑な物語のようでいて、何も難しくはなく如何にして組織にとって邪魔な奴を消すか?でしかないのです。
本作の物語のラインはすべてそのようにして構成されているといっても過言ではありません。
エスカレートしていく暴力
「暴力」を中心に見せたいだけあって、その表現も凄まじく後半に向けてどんどんエスカレートしていきます。
特に斬新なのは村瀬組組長が歯科医院にてドリルで口内を傷つけられた挙句サウナで大友に射殺される場面です。
また、後述する大友組のナンバー2である水野も終盤で惨たらしいやり方で抹殺されています。
それでいて誰にも共感の余地が全くないので、それが余計に本作の暴力を乾いているように見せているのでしょう。
理念なき「総括」
こうした組織の内ゲバが暴走し、組の論理によって次々殺されていく流れは在りし日の学生運動の「総括」を彷彿させます。
しかし、学生運動には「自己批判を繰り返すことで真の革命戦士となる」という理念が表向きにはありました。
「アウトレイジ」ではその表向きの理念すらなく、ただ組織の論理によって次々と組員達は粛清されていくばかりです。
本作の何よりも異色なところは組織を作っているのに「理念」がなく「現実」のみで動いているところでしょう。
大友と石原
ここまではアウトレイジの作風の礎を織りなす基本を見てきましたが、中でも象徴的なのは大友と石原です。
同じ組織でありながらヤクザとして非常に対照的な二人はどのような役割かを見ていきましょう。
旧世代と新世代
端的にいえば、主人公の大友は「旧世代」の象徴、そして最も頭の切れる石原は「新世代」の象徴です。