出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B001S2QNN2/?tag=cinema-notes-22
2008年公開の本作はヴィカス・スワラップの原作『ぼくと1ルピーの神様』をダニー・ボイル監督が映画化した作品です。
大人気クイズ番組をモチーフにしたスラム街出身の青年のサクセスストーリーとして描かれました。
第81回アカデミー賞では作品賞をはじめ8部門受賞、他の賞も数え切れない程受賞しております。
「ミリオネア」を次々と正解していくジャマールは何故最後の問題に正解出来たのでしょうか?
また、サリームがラティカをアジトから逃がした真意は何なのか?
三人が辿った数奇な「運命」についてじっくり考察していきましょう。
運命
「スラムドッグ$ミリオネア」全体のテーマになっている「運命」というキーワード。
この曖昧模糊とした抽象的な要素が果たしてどのように具体化されているのでしょうか?
It is written.(運命だった)の意味
映画冒頭では次の問が出されています。
Jamal Malik is one question away from winning 20 million rupees. How did he do it?
引用:スラムドッグ$ミリオネア/配給会社:ギャガ
この問への解答が四つある選択肢の最後の一つ“It is written.”だったのですが、こちらは聖書からの引用でしょう。
ここで面白いのはdestinyやfateという如何にもな「運命」という意味の単語を使っていないことです。
即ち「運命」という言葉の意味をwritten(書かれている)と具体化して落とし込んでいます。
クイズを通して描かれる人生の試練
こうした「神の言葉」としての運命を用いた本作では「ミリオネア」がただのクイズ番組に終始していません。
単に次々正解していくジャマールの凄さを描くことではなく、そこに至るまでの過程を丹念に描いているのです。
また、彼は無学なスラム街の青年というだけで正解していることに不正を疑われ、警察に誘導人民されてもいます。
こうした様々な現実の試練に挑み、人生の本質へと迫っていく所が本作の物語に奥行きをしっかり与えているのでしょう。
運命≠ご都合主義
「運命」という言葉は特に日本においてはしばしば「ご都合主義」という意味合いで惹句として用いられます。
神が示した筋書きに従うことは予め決められたレールの上を走ることであり、話の都合で動かされることでもあるからです。
しかし、本作の作りは決してそのようなご都合主義的側面だけで動いているわけではありません。
ジャマールが最後の問題に正解出来るようになることの裏には数々の理不尽な痛み・失敗・裏切り等々があるからです。
また、運命は時として残酷さを孕むものであり、ジャマールの大躍進の影で数多く傷つき失敗した者達も居ます。
その辺りも描写していくことで、この「運命」という言葉、テーマにもしっかり説得力を与えているのです。
運命の「光」と「闇」
「スラムドッグ$ミリオネア」の運命には「光」と「闇」の両方が混在しています。
果たしてどのようにこの「光」と「闇」が表現されていたのでしょうか?
対照的な運命の兄弟
「スラムドッグ$ミリオネア」においてはジャマールとサリームの兄弟が非常に対照的な運命を辿ります。
一途にラティカを想い続け、諦めることなく最後まで抗い続けて「光」へと向っていくのがジャマールです。
一方兄のサリームは権力や金の亡者という「闇」へ落ちていき、日の目を見ることのない人生となりました。