所詮憧れだけでは住めない世界。それがマフィアの世界だということを。
トミーが殺された、ということ
ジミーとヘンリーの間に変化
トミーはかつて大物バッツを殺したことで幹部の罠にかかり殺されてしまいます。
トミーが(幹部に)殺されたことでジミーとヘンリーの関係に変化が起きます。
ヘンリーはジミーに殺される、と恐れます。なぜそう思ったのでしょうか。
大親分ポーリーの言うことを聞かずクスリの売買に手をそめ自分もジャンキーになったヘンリーにはFBIの手が伸びていました。
ジミーはヘンリーが自分を売ると確信
ヘンリーがFBIの手に落ちれば、チキンなヘンリーは絶対に自分らを売る、とジミーは確信していたのではないかと読み取れます。
ジミーのやり方を知っているヘンリーは、先にジミーを売って自分が助かる道を選んだわけです。所詮はチンピラですから。
少年の頃、警察に捕まっても仲間の事を絶対に自白せず、「裏切らない」という裏社会の血の掟の厳しさを知っているヘンリー。
しかし、所詮はチンピラ。彼はやすやすと掟を破ります。そういう男なのです。
スコセッシとマフィア映画
スコセッシのマフィア映画の系譜をみていくと「ミーン・ストリート」、本作、「カジノ」そして「アイリッシュマン」へと続きます。
イタリア系移民の子で、リトル・イタリー生まれのスコセッシにとってブルックリンのギャングたちは原風景のようなものといえます。
そで見てきたマフィアやギャングの生き様は、そこでしか生きる術を知らない男らの、ある意味「哀れな」人生が描かれています。
特にマフィアの正式構成員になれない男らの、過酷な生き様の描かれ方が一貫した特徴だといえるでしょう。
そしてそこには必ず盟友ロバート・デ・ニーロの存在があります。
実際の暮らしの中から会得して生まれた作品は、暴力的なシーンを通し人間らしさと哀しみを強烈に訴えて来ます。
まとめ
苛烈な暴力シーンにあえて美しい曲やスローな曲を使うという「対位法」と呼ばれる音楽の使い方も、この映画の大きな魅力。
しかも、それぞれに当てられた音楽の歌詞には映画にシンクロした意味合いがきちんとはめ込まれているのです。
この映画の本質を一番物語っているのはラストの「マイ・ウェイ」ではないでしょうか。
チンピラ、ヘンリー・ヒルの人生に対する強烈な皮肉であると共に、彼はこういう生き方しか出来ないという心情をよく表しています。
シチリア島に根ざした正統なマフィアファミリーを描いた「ゴッドファーザー」に比べ、市井のギャングの狂気と不条理が描かれる本作。
そしてそこにしか生きる道を見いだせない、ある意味「哀れな」男たちなりの「骨太の悪」と、それに付いていけないチンピラの人生。
「グッドフェローズ(Good Fellas)」。