ひとりの人間が一度に殺害した人数としては今現在でも日本最大となっています。
昭和のはじめ、戦時色が色濃くなる不穏な情勢のなかでこの事件はおきました。
センセーショナルにとりあげられ、人々を震撼させた事件です。
八つ墓村においての32人殺し
この津山30人殺しをモチーフとして書かれた物語が横溝正史の八つ墓村です。
作中では、多治見要蔵の32人殺しとしてこの事件が使われています。
実際の津山30人殺しも恐ろしい事件ですが、物語に組み込まれることによって恐ろしさが増しています。
カギとなるのは8という数字。
村人に惨殺された落ち武者が8人。
その後落ち武者殺しの首謀者である多治見庄左衛門が村人7人殺したのちに自分の首を切り落として死ぬ(8人)。
そして多治見要蔵が殺したのが8の倍数の32人。
偶然とは考えられない何かがある、それは落ち武者の祟りだと恐れおののく村人たちの感情は当然だといえるでしょう。
八つ墓村の祟りとは何なのか
戦国の世、どんどん勢力を広げていく毛利元就との熾烈な戦いの末に出雲国の尼子氏は毛利に敗れます。
どうにか落ちのびた先で村人たちに裏切られ惨殺された尼子の無念はどんなに強かったでしょうか。
戦で命を落とすのは武士の本望だとしても、村人の手で酒に毒を仕込まれた末のだまし討ち。
生きてさえいればお家再興の機会もあるかも知れない。
村に落ち延びた尼子義孝がそう考えていたとしても不思議ではありません。
実際に尼子の家臣、山中鹿之助がお家再興のために命を賭して戦ったという史実もあります。
むごたらしく殺されてさらし首にされた8人の戦国武将の口惜しさは計り知れないものがあったでしょう。
末代まで祟る。尼子義孝とその家臣7人の無念は呪詛となり数百年たった今も八つ墓村の人々を恐怖に陥れるのです。
多治見要蔵の狂気と辰弥の母鶴子
辰弥の母、鶴子の思い
鶴子が多治見要蔵から逃げ出すことに成功したのは辰弥がいたからです。
妊娠して日に日に大きくなっていくお腹の子は愛しい亀井陽一の子なのか、それとも鬼のような多治見要蔵の子なのか。
何度も何度も考えたに違いありません。
しかし生まれて来た辰弥の顔を見て鶴子は亀井陽一の子だとわかったはずです。
そして、なんとしてもこの子だけは守らなければいけない。
要蔵から逃げ切ることが出来たのは母としての思いの強さからでした。
多治見要蔵の呪われた血
異様なまでに鶴子に執着していた要蔵の思いとはどんなものだったのでしょう。
鶴子がいなくなったあとの狂気は想像を絶するものがありました。
鶴子への思いは愛というには恐ろしく、所有欲であり鶴子の気持ちを考えたものではありません。
実際の津山事件でも根底に犯人の女性への思いがあったといわれています。